女優・栗山千明が艷やかな姿で“降臨” 週刊誌『FLASH』に表紙&グラビア10ページで登場し「私にとってスチール撮影のお仕事はご褒美」

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6月8日(火)に光文社より発売された週刊誌『FLASH』1607号にて、女優の栗山千明が表紙と巻頭グラビアで登場していることがわかった。

栗山千明は、ティーン誌のモデルを経て、1999年に映画『死国』で俳優デビュー。その後は、深作欣二監督の『バトル・ロワイアル』やクエンティン・タランティーノ監督の『キル・ビルVol.1』などに出演。2010年には『機動戦士ガンダムUC』の主題歌『流星のナミダ』で歌手デビューも果たしている。現在は、ドラマ『ラブコメの掟~こじらせ女子と年下男子~』(テレビ東京系)に主演中だ。

 

同ドラマの最終回を控える栗山は、『FLASH』1607号の表紙とグラビア10ページに、「華やかでありながらかっこよく、思わずため息が出るほど艷やかな姿」で降臨。「私にとってスチール撮影のお仕事はご褒美なんです。理屈じゃなく感性で動けるからすごく楽しくて。今回のドラマはフェミニンな役だったので、このグラビアを見てこういう一面もあるんだなと知ってもらえたら嬉しいです」と語っている。

『FLASH』1607号 表紙

『FLASH』1607号 表紙

また、同ドラマで“容姿端麗ながら恋愛経験はゼロ、少女漫画から学んだ恋愛を自分の経験かのように指南する女子”を演じた栗山が、“恋愛相談”についてもコメント。「男性から女性目線での見解を聞かれることはありますけど、女性同士だと恋愛よりご飯の話をすることが多いです。現場でキャストさんと『平貝は海苔で包んで食べたら美味しい』という話で盛り上がったり(笑)」と明かしているという。さらに、「じつは、Twitterを始めてから気づいたんですが、まわりが引くくらい自撮りが下手なんです。ご飯を撮るほうが断然得意ですね(笑)。家で過ごす時間が増えたおかげでファンの方々との交流も増えました。そんななか、エンタテインメントを求めてくださる声が増えていると強く感じています。ドラマを見る機会が増えたという話を聞くと、皆さんのお役に立てる仕事ができていると思えて本当に嬉しいですね。これからも楽しんでいただけるよう精進するのみです!」とSNSの運用についても語っているとのこと。

ヒロド歩美 (C)光文社/週刊FLASH-写真=Takeo-Dec

ヒロド歩美 (C)光文社/週刊FLASH-写真=Takeo-Dec

朝日ななみB (C)光文社/週刊FLASH-写真=菊地泰久

朝日ななみB (C)光文社/週刊FLASH-写真=菊地泰久

そのほか、『FLASH』1607号には、『熱闘甲子園』『芸能人格付けチェック』(ABCテレビ/テレビ朝日系)などで知られるヒロド歩美アナウンサーが初のグラビアに挑戦しているほか、女優・朝日ななみのグラビア企画なども掲載されている。

 

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本日・6月10日にUSEN STUDIO COASTにてワンマンライブを行なったBBHFが、2021年冬に全国5都市を周るツアーの開催を発表した。

約2年振りの全国ツアーとなる東京公演は、BBHFとしては最大のキャパとなるZepp DiverCityで行われる。

チケットは本日からオフィシャルファンクラブで先行受付を実施している。

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5月22日に豊洲PITで新体制初のワンマンライブ『Dear☆Stageへようこそ2021』を開催したでんぱ組.inc。そのワンマンライブから「千秋万歳!電波一座!」の映像がYouTubeにて公開された。

新体制初のシングル曲「千秋万歳!電波一座!」は玉屋2060%作。高速な楽曲に9人のダンスパフォーマンスが印象的な映像となっている。

でんぱ組.incは6月12日にUSEN STUDIO COASTにて『プラズマでんぱフェス2021』に出演。この日は新曲を初披露することも発表されている。なお、でんぱ組.incの他に、虹のコンキスタドール、meme tokyo.、ARCANA PROJECTも出演する。

 

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湯木慧が、中川翼・長澤樹が主演の映画『光を追いかけて』主題歌を書き下ろした。

映画『光を追いかけて』は、過疎化の進む秋田の美しい田園を背景に、傷つきやすい思春期の少年少女と大人たちの物語。『僕だけがいない街』の中川翼が彰を演じ、『破壊の日』の長澤樹がヒロイン・岡本真希に扮した。また秋田県出身の柳葉敏郎が真希の叔父役、生駒里奈が彰の担任教師役で参加。ポカリスエットのCM出演でも注目を集める中島セナ、そして駿河太郎、小野塚勇人(劇団EXILE)らも出演する。監督を務めたのは、秋田出身で多くのテレビCMなどを手がけてきた成田洋一。

予告編では、光を失った町に引っ越してきて“大人になることを強いられる”彰と、“大人になることを拒否する”真希、そして閉校を哀しむ生徒たち、そうした子供たちの不安が、彰の父や真希の叔父・秀雄、閉校となる学校の教師・美晴等、大人たちへも稲穂が風に波打つように伝播し、それぞれの葛藤が映し出される。

映画『光を追いかけて』予告編

映画『光を追いかけて』

映画『光を追いかけて』

 

湯木慧コメント

主題歌を作ります。となってからまず思ったのが、秋田に行こう。でした。全く秋田に関わりのなかった自分が書いて良いのか否か迷いながらも色々な事の裏や表を想像し想いを馳せながら訪れた秋田は唯一無二の壮大な景色と香りでした。
大人と子供、内側と外側、光と影。
映画を観た方は勿論、幅広く多くの方の想いや心に寄り添いリンク出来る楽曲になったと思うのです。
是非映画と合わせて楽曲も沢山噛み砕いて欲しいです…。
秋田大好き。

成田洋一監督コメント

映画の主題歌は、実は考えていませんでした。エンドロールの背景は黒画面にし、朝の学校の効果音だけにするつもりでした。せっかくのストーリーの余韻が、音楽で邪魔されるのが嫌だったので。
ところが、編集の過程で、黒画面ではなく、映像を入れることになりました。そうなると主題歌を入れないともたないなと。ただ、曲が流れることで映画の世界観を崩すことはしたくない、むしろ、観客の余韻を増幅する曲じゃないと入れたくないと強く思いました。

もともと、湯木慧さんのことは知っていました。
その歌は、心の奥の方に隠している弱さを鷲掴みにし、目の前に突きつける、そんな容赦のなさがありました。心が震えました。この人に「心の肌」があるとするなら、限りなく薄く、触れるものは風でさえ敏感に感じ取り、常にヒリヒリする痛みを感じてしまう。痛々しい……彼女の歌にはそんな絶望の魅力を感じたのです。

僕の映画の世界観と彼女の歌の世界観は、確実に合う、でも、そこに未来はあるのか?そんな不安もありました。ただ、何度も何度も彼女のさまざまな曲を聴いているうちに、どの曲にも微かな光を感じました。未来はある。危険ではあるが、心中するのもおもしろいかと。そう思うと妙に高揚し、彼女しかいないと思うようになりお願いすることになりました。

初めて彼女に会った瞬間に、あぁ、やっぱりそうかと。もはや何の心配もないなと。この人の「心の肌」にまかせようと決めました。

映画を見てもらった上で、彼女の希望で秋田に向かいロケ地を案内しました。映画のシーンをひとつひとつ噛み締めるように彼女は見つめ、匂いを嗅ぎ、時には覚えてしまったセリフを口にしてました。
思い出深いのは、屋根の上。二人で登り、草刈りによって流れてくる青臭い香りを嗅ぎながら一時間あまり話しました。内容は覚えていません。おそらく頭に浮かんだ言葉の素直なやりとりをしていたのではと思われます。それで充分だったのではないでしょうか。

その後、あがってきたのが「心解く」です。

長期にわたる編集で何度も何度も見てきた作品でしたが、この曲がエンドロールとともに流れてきた時、あぁ、これでやっと完成したんだと思いました。と同時に「運命」という言葉が頭に浮かびました。そう、やはり運命だったのです。

「光を追いかけて」の宣伝コピーは「光を望むな、光となれ。」としましたが、実は映画が完成してから、つまり主題歌をエンドロールに入れてから浮かんできた言葉です。それは、まさにこの映画で真に伝えたかったこと。「心解く」が導いてくれたような気がします。

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仮面ライダーシリーズでメインライターを務める高橋悠也と東映が、新たなコラボレーションプロジェクト[TXT]を2019年に発進。2021年6月、いよいよその[TXT]の第二弾作品『ID(アイディー)』の上演が決定した。作品のコンセプトのひとつは「私たちは、本当に自分の意志で生きているのだろうか?」。人類の誕生と進化の仮説を問うこのSFヒューマンサスペンスで生徒会長を演じるのは崎山つばさ。そして、学級委員を演じるのは松田凌。稽古初日に行われた本読みにて初対面を果たしたふたりが、新鮮な気持ちのまま、本作に挑む胸中を語り合ってくれた。

ーーおふたりは今作が初共演。これまで何か交流などは……

崎山:以前、僕が『煉獄に笑う』という舞台をやった時の稽古場に凌くんが来てくれて……。前作の『曇天に笑う』に出演されてたんですよね。

松田:そうなんです。でもちょうど稽古真っ最中のタイミングで、邪魔にならないようホントにご挨拶だけって感じだったので……ちゃんとお話しするのは今日が初めてです。

ーーでは、お会いするまで互いに抱いていた印象というと?

崎山:クールというか、かっこいい人。「俺、役者だし……」って感じのね、いい意味でトガッてて“個”が強い、なんか……ちょっとツンケンしてる感じなの方なのかなって思ってました。

松田:えっ、そんな〜!

崎山:ハハハッ(笑)。でも実際はそんなことまったくなく、すごく親しみやすくて。

崎山つばさ

崎山つばさ

松田:よかったぁ……いや僕、初対面で「強めの人だと思った」ってすごく言われるんですよ。なんでだろう……顔?(笑)。実際はもうふにゃふにゃですから。

崎山:嬉しい裏切り(笑)。

松田:僕は、つばさくんが活躍されているのはもちろん存じていましたし、共演経験のある後輩や周囲の俳優仲間からもいい話をたくさん聞いてたし。あと、俳優以外に歌とかマルチに活動されてますよね。それで(黒羽)麻璃央くんとやってるCMが──

崎山:「旅するエスニック」だ〜。

松田:あれがすごく印象に残ってて。もともと僕のつばさくんのイメージが真面目とかちょっと堅い人だったんですけど、CMとかからもうホントに幅広く表現活動されてるなぁってインパクトを受けて、で、今日初めてお話ししてみた印象はそのまんま! いろんな現場でいろんな表現に挑戦し続ける柔軟な感性の方なんだなって、イメージと実態が合致した感じです。

崎山:よかった(笑)。僕ら、メイクルームからここに来るまでも結構エモイ会話をしてたんですよ。「なんて呼ばれてるんですか?」「下の名前で呼びましょうか」って(笑)。

ーーめちゃくちゃ新鮮なやつ!

松田:フフッ(笑)。だから今この取材で初めて「つばさくん」って呼んでるんですけど、ぜひその瞬間を映像で残しておいて欲しかったくらい、フレッシュな感覚です(笑)。

崎山:ハハハッ(笑)。まだ、探り探りのふたりです(笑)。

ーー今日は本読みも行われました。いよいよ作品世界に足を踏み入れた感覚はいかがでしたか?

崎山:そうですねぇ……考える時間が、欲しい(笑)。まずは自分でしっかり噛み砕いて理解しなければ……舞台としてお客様にこの物語を受け取っていただくには、僕自身がそれ以上にしっかりと理解し深めておく必要があるなと、改めて実感しました。

松田:それはホントにそうで、物語の様々なポイントに(作・演出の)高橋さんが散りばめた思いがあるんだろうなぁと。そしてそれは僕ら俳優と創っていく中でどんどん変形していくモノでもあるだろうな、まったくゼロから創っていくお芝居ってこういうモノだよなって、読みながら強く思わせてもらって。具現化していくと、読んだ時の印象とはまた全然違ったモノになっていくでしょうね。稽古はそういうモノを拾い集める作業になると思います。

松田凌

松田凌

ーー本作は生命や宇宙のシステムを設計する“委員会”と彼らがデザインし生み出された“アバター”が行う、人間の存在意義を問い直す“実験”を描くオリジナルストーリー。稽古場もまさに“実験の場”の様相に……?

崎山:確かにそうなるのかもしれない。

松田:うん。すごく試みの多い作品になると思います。役者それぞれがそれぞれの試みでこの一つひとつを形にしていったんだなってところが、本番からも伝わるんじゃないかな。

ーー8人のキャスト全員が委員会メンバーとアバターの2役を演じるのも見どころです。崎山さんの役は目的のためには手段を選ばない「生徒会長」。委員会のプランナー。

崎山:ビジュアル撮影のときすでに役柄については高橋さんに説明を受けていて、生徒会長とアバターは性格も対極にあるようなキャラクター、振り幅の大きな演じ分けが必要なんだと確認しました。自分が考えていた表現のさらにその多くまで深掘りできるような……アバターのほうは8人それぞれがある「感情」に特化した存在になるんですけど、ひとつの感情を司っていても、その中でも場面場面で陰と陽の側面があって。そこもこれから稽古をやってみないと、というところ……です。ベースはちゃんと持ちつつも、特に初めの段階ではなるべく「この感情はこう」と決めつけず、繊細なグラデーションを捕まえていきたいと考えています。

ーー松田さんは「学級委員」。生徒会長の下、メンバーを動かしていく温厚な現場責任者です。

松田:ディレクターと呼ばれ、物事が円滑に進むように管理していく立場であり、アバターのほうはプランナーとはまた違うひとつの感情を司る存在で……みなさんが抱く僕のイメージをぶち壊せるようなキャラクターを演じたいな、と思ってるんですよね。つばさくんも言ってくれたようにやっぱりひとつの感情にもいろんな側面があって、どこで何を選ぶかで伝わり方もまた全然違ってくると思うから、そこをしっかりと探っていきたいっていうのが自分にとっても一番大きなテーマ。2役あれど演じる人は一人なので……そこで役者として見せなきゃいけないモノ、超えなきゃいけないコトはもう自分に明確に見えている。あとは稽古の中で伝えるべきモノを伝えられるよう、新たな発見を重ねていきたいです。

ーーストーリー運びも非常にスリリング。委員会のプロジェクト内容に追いつくべく、観客も頭をフル回転させながら物語に分け入り、紐解き、驚きと発見を味わえる。不思議な感覚の作品になりそうです。

崎山:稽古を重ねることで僕らが得た深度が、公演を重ねることでさらに磨かれ上書きされていくのがこの物語の魅力でもあって……。

松田:……うん。でも……あ、それ以上はちょっと言えないのか(笑)。

崎山:そうだね。言えないね(笑)。

崎山つばさ

崎山つばさ

ーー詳しくはぜひ劇場でご確認を(笑)。では委員会が扱う「感情」ですが……例えば役ではなく自分自身の行動の指針、柱になる「感情」を挙げるのなら?

松田:ここに出てこないモノでもいいですか? うーん……。

崎山:なるほど。だったら自分は「ポジティブ」かなぁ。僕はどちらかと言うと楽観主義なので、物事を悲観的に捉えるよりも肯定して考えた方が得じゃない? って思うタイプ。悲観的なところから考えて人間として成長していくという道筋もあると思いますけど、僕はやっぱり明るくいたいので、ポジティブが原動力になって今に至るなって感じ。遺伝ですかね。母親がとにかくポジティブな人なので。「うぜぇな」って思っても(笑)、そのプラスの波動で周りにもいい影響が広がっていくのはいいですよね。

松田:僕は感情とはちょっと違うかもしれないですけど「衝動」、ですかね。自分の想像もしていなかったことが自分の琴線に触れる瞬間ってあるじゃないですか。多分それを頼りに生きてる感じはあるかなぁ。言葉としては破壊的なイメージかもしれないですけど(笑)。

ーーパンク魂の匂いが。

松田:まぁ、そう、とも言いますね(笑)。

崎山:(笑)。

松田:何かの物事が自分の想像の中での最高の結果になったことって、今までの人生でほとんどないと思う。なので、最悪を想定していれば逆に「何かあるかもしれない」という気持ちにもなれるし……って、これ、初舞台の時の自分の台詞にあったんですけど、自分自身とてもハッとさせられた考えでもあって。起こることに対し、線でつなぐ前に点の位置を決めたくないんですよね。なるようになる、生きてさえいればどうにでもなる、と。で、そこで頼りになるのはやっぱり「衝動」なのかな、そこから生まれる何かを求めてるのかなって、今、改めて思いました。

ーー「ポジティブ」と「衝動」。それぞれの前進力で共闘できそうな、いいコンビネーションですね。

崎山:かもね。なんでしょう、僕ら、もともと持っている波長が一緒のような気が……しています。ハハハッ(笑)。

松田:嬉しいっ。ふたり、どこか同じ匂いがありますね。

松田凌

松田凌

ーー劇中、回変わりのエチュードパートもありますし。

崎山:あー、それはねぇ……。

松田:あれか! 悩みそうだなぁ〜。

崎山:うん。で、「ちゃんと悩まなきゃいけないのそこじゃないじゃん!」ってなっちゃうから、気をつけないとなぁ(笑)。

松田:(笑)。でも他にも演出的にすごくナマモノ感を取り入れてる感じが、新しいですよね。

崎山:そうそう。

ーー高橋さんからはなにか具体的なオーダーなどはありましたか?

松田:今日の段階ではまだないです。でも本読みを終えてみて「一緒に創っていける人なんだな」という空気は非常に感じられていますし、高橋さんの中にはもう明確なイメージがあるんですよね。稽古する中で、共にそこへ向けて作品を形成していくんだろうな、というのが今の段階での手応え……ですかね。

崎山:稽古を進めていく中でおそらく、自分自身が裏切られるような瞬間もあると思うんです。むしろ、早くそこに行きたいなぁって思うし、さらには高橋さんを裏切るということもできたら、いいなぁって思います。

ーー委員会が求めるのは、“科学的に”完璧に美しい世界と人間のデザイン。「美」の基準はいろいろあると思うのですが、おふたりはどんな対象に美しさを感じるのでしょうか。

崎山:僕は神社が好きなんですけど、いろいろ紐解いていくと全てに意味があって。例えばお参りの時になぜ拍手をするのかと言うと、手のひらが柏の葉に似てるから、という説もあるんです。柏は落葉樹なんですけど、新しい芽が出るまでは枯れてても枝から落ちないんですって。新しい芽が生まれたときに自分の役目を終えて落ちることで、命を次に繋ぐ。そこに昔の人は着目して拍手を鳴らすようにしたんじゃないかって。そういう日本人が持っている観点、モノの見方みたいなことに触れたとき、僕はすごく美しさを感じることがあります。日本人なら大切にしていきたいなと思わせてくれる雅な心、何気なくやっていることにも実は意味があったんだと知識を得ることで、また、たくさんの美しさにも出会えるんだと知りました。

崎山つばさ

崎山つばさ

松田:(頷く)。僕は特に最近、俳優の仕事をしている、言葉と向き合っているという経験が増えるにつれて、日本語の美しさを再確認しています。もちろん他の国の言語にもそれぞれに素敵なところがあると思うんですが……日本で生まれ育ったがゆえ、自分が日常で普通に使っている日本語について、ちゃんと考えたことがなかったんです。でも意識してみると、ひとつの事柄に本当にたくさんの言い回しがあって。桜は「散る」だけど、菊は「舞う」。バラは「枯れる」。椿は「落ちる」と言うこともあり……まとめてみんな同じに「枯れる」とかでもいいんだけど、その花それぞれの散り際の様子に美徳を感じているのか、終わりの瞬間の花の様子をとらえてその有り様によって言葉を変えるっていうことが…うまく言えないけど、そのこと自体の裏付けでもあるというか……。

ーー目の前の事柄への敬意を感じますね。

松田:そういう日本語ならではの言葉の使い方に触れたり、その意味を紐解いていくのが最近とても好きで。漢字の成り立ちとかもすごく面白いですし、台詞もそうですよね。脚本家の方がものすごく熟考して、誰かに向けて……もしくは自分自身に向けて一言一言書いているんだと思うと、それを自分たち俳優はまた自分の解釈で言葉にしていくわけで、その伝わり方ひとつで受け取るほうの人生も変わっていくかもしれないし──

崎山:(頷く)。

松田:日本語ってすごく複雑だし、その人とその人の人格を創っていく上でももっとも重要なんだなって。そこにすごく美しさを感じますね。日本語について、聞くのも学ぶのも好きです。

ーー「美しさ」へのそれぞれの情緒あるまなざし、素敵です。作品で描かれるだろう情緒と科学の凌ぎ合いも楽しみです。

崎山:はい。僕らもまだ舞台としての像は薄っすらと見え始めるのかな、という段階ではあるので……早く輪郭を掴んで実体化させていきたいな。

松田:ここで僕らのクリエイティビティが試されてるのかもって、ちょっと怖くもあります。今この時代に、「密」にし辛い状況下でも、表現力で「密」にしていかなきゃいけないところも多々あるし。

松田凌

松田凌

崎山:そうだよね。役者に限らず表現をする人って、それぞれ表現を「したい」「やらなければいけない」性分なので状況は状況ですけど、それを言い訳にするってことはあまりしたくないよね。そのときにしかできないこと、気づけないこともたくさんあるので、「今だから」という気持ちはあまりないんですけど、抗っていたい、という気持ちは強いです。

松田:(頷く)。「生業」みたいなものだから、結局のところ信じちゃってるんでしょうね、演劇を。すごくシンプルな舞台があって、板の上があって、演者がいて、お客様がいてくれて、もちろん、スタッフさんもね。それだけで十分。だから今、見えないモノが壁としてあるけれど、でもやろうと思えばできるはずなんです。僕もこれまでと今とはそんなに大差はないはず……と信じてしまっているから、いろんな人の支えもあり、こうして板の上に立たせてもらっている自覚はあります。

ーー高橋さん自身「舞台でしかできない何か」を追求している本作 。改めて本番への意気込みをお願いします。

松田:僕のことを知ってくださっている方に対しては「松田凌、こういう感じでお芝居するだろう」って思ってくださっている概念を、ここでひとつ壊していけたら嬉しいなというのがあって。でもそれは自分のエゴの部分、末端の気持ち(笑)。作品全体としては、高橋さんを含め、今回「初めまして」の方が多いので、役者としてまた知らない世界に行けるのかなって期待しています。自分自身が“自分が持つ固定概念”じゃないところでの表現を探していけたら。みんなでちゃんとまっさらなところからモノ創りできる、そんな感覚なので、早く稽古がしたいです。

崎山:人間と、創り出されたアバター。一人二役への挑戦。オリジナル作品として自分から生み出すものもあるけれど、役によって自分が生み出されていくこともあるはずで、何重にもなっているような「そこ」を目一杯楽しめる時間にとても期待しています。まだわからない自分自身が経験するいろんな瞬間を味わえるんだ! って。僕も早く稽古したいですね。とりあえず、今日から「凌くん」「つばさくん」の仲で──ね(笑)。

松田:フフッ(笑)。ですね。

(左から)崎山つばさ、松田凌

(左から)崎山つばさ、松田凌

取材・文=横澤由香   撮影= iwa

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2021年7月17日(土)・18日(日)東京・日本教育会館一ツ橋ホールにて、バイきんぐ単独ライブ『STRAIGHT』が開催されることが決定した。

「キングオブコント2012」第5代チャンピオン獲得から、いまや不動の人気と実力を兼ね備えながらも、さらなる進化と高みを追い求める、小峠英二・西村瑞樹のコンビ、バイきんぐ。結成25年目のメモリアルイヤーを迎えた今年、2年ぶりの単独ライブを行う。

前回公演『ぺあ』より

前回公演『ぺあ』より

前回公演『ぺあ』より

前回公演『ぺあ』より

 

ある時は司会業、ある時はキャンプ芸人をこなすなど、バラエティを中心に八面六臂の活動ぶりも、彼らの原点はあくまでも舞台上のコント。本職であるコントにはいまもなお並々ならぬ思いを抱き、研ぎ澄まされた精工なネタやマシンガンのような破壊力抜群のネタなど、全身全霊を込めたオール新作ネタが今回も目白押し。

前回公演『ぺあ』より

前回公演『ぺあ』より

2008年3月に開催された初単独ライブ『鬼火』から、今回で11度目となる単独ライブ。コンビ結成25周年の節目かつ2年ぶりの開催で、例年以上に見ごたえあるステージになることは確実。果たしてどのような珠玉のコントが飛び出すか、期待しよう。

バイきんぐ

バイきんぐ

バイきんぐ:小峠英二  コメント

前回公演『ぺあ』より 小峠英二

前回公演『ぺあ』より 小峠英二

2年ぶりの単独ライブ。
みんな2年前のネタなんかほとんど覚えていないと思うので、
半分くらいは2年前のネタを、そのままやろうと思っております。

バイきんぐ:西村瑞樹  コメント

前回公演『ぺあ』より 西村瑞樹

前回公演『ぺあ』より 西村瑞樹

このご時世の中、テレビのネタ番組も無観客になり、それになれた僕は少し緩和されてきて、
少数の観客の前でネタをやった時、ガチガチに緊張してしまいました。単独ライブ、ちょっと怖いです。

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劇団俳優座は、英米で高い評価を得た『インク』(作:ジェイムズ・グレアム 翻訳:小田島恒志)を2021年6月11日(金)~27日(日)、劇団俳優座5階稽古場にて上演する。1969年のロンドンを舞台に、新聞の発行部数をめぐる熾烈な闘いを描く。部数低迷にあえぐ日刊紙『ザ・サン』を買収したルパート・マードックは、ラリー・ラムを新編集長に据えて、大衆のための大衆紙作りを試みる。ふたりには英国で最大部数を誇る『ザ・ミラー』に追いつき、追い越したいという野望があったーー。本邦初演となる今作の演出を手掛けるのは、紀伊国屋演劇賞・読売演劇大賞優秀演出家賞W受賞の眞鍋卓嗣。編集長ラム役の志村史人、社主マードック役の千賀功嗣にも同席を乞い、御三方に話を聞くことができた
 

■英国で評判だった新聞業界の内幕物

──『インク』を上演することになったきっかけについて教えてください。どなたの企画ですか?

眞鍋 俳優座に出したのは、ぼくです。『インク』はイギリスで評判になってました。

──初演は2017年6月、アルメイダ劇場ですね。その年の9月にはウエストエンド、2019年4月にはブロードウェイでも上演されました。

眞鍋 2019年にニック・ペインの『インコグニート』をやったんですけど、その流れでイギリスの現代作品をやろうと考えていて、そのなかのひとつで、向こうで上演されている『インク』の噂を聞いて、それでやろうという気になりました。

──『インク』はイギリスの新聞業界を描いた内幕物です。日本でも、今年に入って朝日新聞と東京スポーツが100人以上の希望退職者を募っていました。そのように新聞というメディアをとりまく環境が劇的に変わりつつあります。でも、それは現在の話で、企画が出されたのは、もっと前ですね。

眞鍋 そうですね。『インコグニート』は何年もかけて、企画をあげてたんですが、これは一昨年ぐらいかな。

──企業の内幕物と言えば、たとえば、ナショナル・シアター・ライブでも上映された、リーマン・ブラザーズの創立から破産までを描いた『リーマン・トリロジー』も話題になりましたが、『インク』もそれに負けないくらいパワフルな話だと思います。
 

■破天荒なメディア王マードック

──『ザ・サン』の社主であるルパート・マードックは、とてつもなく破格な人物だと思うんですが、台本を読まれて、どんな感じでしたか。

千賀 第一印象は常人(ひと)離れというか、異質というか、ちょっとちがう人だなと思って。実際に自分がルパート・マードックを演じることがわかってからですが、いろいろ調べて、まず思ったのは、別次元の人、まわりになかなかいない人だと感じました。

──そういった人物に、どのようにアプローチしようと考えていますか。

千賀 アプローチの仕方としては、経営者として相手を言葉でどう動かしていくかにすごくヒントがあって、会社の社長さんの文献を読んだりとか、パナソニックの松下幸之助さんの経営理念を調べたりとか。

 帝王学じゃないですけど、本田宗一郎さんの本から、人をどうやって動かすかとか、そういったことを学んでます。マードックのやりかたは台本に書いてあるんで……もちろん書かれてないところもたくさんあると思うんですけれども……テーマとしては志村さん演じるラリー・ラムを、どう動かして、いかに会社を大きくしていくかというところですかね。まだ、それしか言えないんですけど。

──マードックの特色として、かなり汚い言葉を平気で使うところがありますが、ふだん言い慣れないから難しいかなと。

千賀 お芝居で下品なことをやったりするのは、いままでなかったんですけど、そういう怒りというか表現は、なかなか日常生活ではできないので……。

──舞台ならではという感じですね。

千賀 というところで、楽しみながらやりたいなと思っています。

俳優座公演『インク』(ジェイムズ・グレアム作、眞鍋卓嗣演出)稽古場風景。

俳優座公演『インク』(ジェイムズ・グレアム作、眞鍋卓嗣演出)稽古場風景。

 

■大衆紙『ザ・サン』の編集長ラリー・ラム

──では、そのマードックにヘッドハンティングされて、すごく短期間で『ザ・サン』を新たに立ちあげる編集長ラリー・ラムについて、台本を読まれてどうでしたか。

志村 細かいシーンが次から次へと移り変わるお芝居で、どんどん引き込まれる感じになっている。最初はサクセスストーリーのように進んでいくんですが、だんだん展開するにつれて影が見えてくるというか、後味の悪さみたいなものが、ラリー・ラムの役を追いかけて読んでいると見えてきたりして、単なる成功体験のサクセスストーリーではないところが、この台本の興味深いところというか、見どころなんだと思います。

──新たにスタッフを集めるリクルートから始まり、観客へのサービスも兼ねて、新聞が作られる工程を部署別に説明していくのが「PAGE ONE」。そして、『ザ・サン』が創刊されるところで終わる。「PAGE TWO」は、『ザ・サン』と『ザ・ミラー』との部数競争の闘いが切っておとされ、おたがいにしのぎを削りあう。「PAGE THREE」では、その勝負の勝敗が明らかになる。たった1年間を密度濃く描いている作品ですが、気に入った台詞はありますか。

志村 今回、WHY「なぜ」というのが、たぶん大きなキーワードに。

──報道に重要なWから始まる5つの単語で、5番目に挙げられている言葉ですね。

志村 それがキーワード。かつてはいちばん重要だと思われていたWHY「なぜ」から、「次はどうなるのか」に変わったという台詞が印象的です。
 

■ポピュリズムはどのように台頭したか

──ラリー・ラムは、その理由を「『なぜ』そういうことが起こったのか。いったんわかってしまうと、話はそれで終わり」と言っています。「答えを問うべきは、『なぜ』じゃなくて……『次はどうなるのか』」。それがみんなが知りたいことで、そこに欲望の行方もある。そこを探り当てて記事にすることが、購読者増加につながるとラリー・ラムは考えた。そして、マードックはそれを過激かつ通俗的に実行させた。そのために、やがて現実との間に歪みが生まれて事件が起きてしまう。

眞鍋 WHY「なぜ」を失くしたことによって、ジャーナリスムの問題点が起きているんです。そもそもラムはジャーナリストだったから、5Wを知っていて、ずっと基準にしていた。しかし、いつからか、「なぜ」はない方がいいと考えるようになった。その方が大衆の気持ちに寄ることができる。「なぜ」がないから、「次はどうなるのか」というストーリーだけに大衆は関心を持ってしまう。大衆はそういうものが好きなんだと、どこかで割りきったんですね。そのようにしてポピュリズムみたいな動きが出てきてしまう。

 『インク』はある時代のジャーナリズムの話ですが、つい最近、イギリスはEU離脱の問題がありましたよね。ブレクジットがあったからこそ、この芝居を上演しようと思いました。ポピュリズムという大衆迎合主義が、いま世界中で台頭している。日本も同じようになってきたので、その構造をイギリスを例に紹介したいと思って。

──『インク』には、マードックがテレビに出演している場面がありましたが、日本の場合だと、大阪府の知事が毎日のようにテレビに出ていることと重なるのかなと。これはポピュリズムとも関係があるし、そんなふうに舞台を見た方が、いまに引きつけて見ることができるような気がします。

眞鍋 イギリスではEU離脱の国民投票があり、日本でも憲法改正の国民投票が眼前に迫っている問題なのかなと思ったりします。国民投票に持ち込まれたら、わからない。EUもまさか離脱することになるとは思ってなかったのに。

 あと、聞いた話では、ひとつのテーマでちゃんと国民で議論しなければいけないのに、ブレクジットに反対する人のスキャンダルに反応して、一気に感情が傾いたりする。そういうことが起こりうる。そういうものに持ち込もうとしている人たちがいることが恐ろしいなと。それは民主主義につきまとう影みたいなもので、すごく気をつけなきゃいけないと思うんです。『インク』はそういうことも描いている気がして、いま上演したいと思いました。

俳優座公演『インク』(ジェイムズ・グレアム作、眞鍋卓嗣演出)稽古場風景。

俳優座公演『インク』(ジェイムズ・グレアム作、眞鍋卓嗣演出)稽古場風景。

 

■翻訳劇の難しさ

──『インク』はどの登場人物もよくしゃべります。台詞が長いから、覚えるのが大変ですよね。

千賀 いまはもう、詰め込んでる真っ最中で(笑)。

──小田島恒志さんの訳は、一度聞いたら頭に入るようにわかりやすい。

眞鍋 本当ですね。

──観客にも伝わりやすい気がします。ただ、台詞をどこで切るとか、ひと呼吸入れるかというのは、1行ずつ眞鍋さんと俳優が話し合うしかないんで、そういった作業も大変だと思いますけど……。

千賀 翻訳劇の場合、日本語にするときに、台詞の順番があっちへ行ったり、こっちへ行ったりしますよね。長いし、ひとつ言い切ったあとで、さらに付け加えられることがあったり。そこがいつも苦労するところですけど。

──翻訳物を演じるときに、台詞以外で苦労されることはどんなことですか。

志村 『インク』に限らず、翻訳物は文化もちがうし、育ちもちがうので、相手に対するコミュニケーションのとりかたもちがってきます。手ぶりとか身ぶりも、もちろん出てくる。日本の場合は、そういうことをやらないで、感じてもらったり、察してもらうことの方が多い。『インコグニート』やサム・シェパードの『心の嘘』のように、相手をどう動かすかということに集中するのは、何度やってもなじめないんですけど(笑)。でも、毎回意識してやり、そういう方向に持っていくようにしています。

──千賀さんはどうですか。

千賀 自分の感情を伝えたいときや、相手の何かを引き出すところで、動きを効果的に使いたいと思って、いま探っているところです。それは演出家を含め、相手役と稽古を積み重ねてやっていこうと思っているんですけど。
 

◼︎観に来てくださるお客さまに

──観に来てくださる観客に、ひとことずつ言葉をいただけますか。

千賀 うちの劇団では、いままでにない作品だと思うんで、そういう意味でも楽しんでいただきたいと思います。いまはデジタル化で、なんでも携帯やパソコンに入れる時代なので、新聞もCDもなかなか売れなくなっています。でも、新聞がどういうふうに作られているのか。大勢の人が動いて、これだけの努力があって、やっとひとつのものができあがる過程を、若い世代の人たちにぜひ見ていただきたいと思っています。

──メディアとしての新聞の現実の姿。発行停止に陥りかけていた新聞を、マードックが安く買いとって、「再生」させてゆく。でも、売るためのやりかたを選ばないことから、新たな問題が起きてきます。

志村 だいたい言われてしまったんですが、ラリー・ラムの台詞のなかに「ページを繰るごとに読む者の眠気を誘うのではなく、横っ面をひっぱたくような、ドキドキわくわくするニュース記事」というのがあるんですけど、見てるお客さんの眠気を誘うのではなく、横っ面をひっぱたくような、ドキドキわくわくさせるようなスリリングな作品を創っていきたいと思っています。

──そういう意味では、いい刺激がもらえそうですね。

志村 コロナ禍で、みんなリモートもやり尽くして、最近、路上で飲む人も出てきているようですが、やっぱり、人と人とが会うということに戻ってくるのかなと。本当はいけないんだけど、そういう時期になってきてると思うので、上演がかなって、ちゃんとみなさんに来ていただけるような状態になったなら、実際の舞台を目の当たりにして楽しんでもらえたらなと思います。

俳優座公演『インク』(ジェイムズ・グレアム作、眞鍋卓嗣演出)のチラシ。

俳優座公演『インク』(ジェイムズ・グレアム作、眞鍋卓嗣演出)のチラシ。

取材・文/野中広樹

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2021年6月18日(金)より東京・プーク人形劇場にて、情熱のフラミンゴ第8回公演『ちょっとまって(完全版)』が開幕する。本作は、昨年12月にワークインプログレスの一環として『ちょっとまって(試作)』を二日間のみ上演。試作にしながら高い完成度が話題を呼び、両日満員御礼となった。

“チリチリバラバラな言葉、見立てられてしまう関係”というキャッチコピーが添えられた本作の登場人物は三人。二人の女と一人の男の幽霊だ。歌い戯ける男にあれよあれよと誘われ入り込んだ部屋にいたのは、二人の女。思わずこちらも「ちょっとまって」と言いたくなるような、どちらも譲らぬ濃密な会話劇が繰り広げられるー。外界から閉じられた部屋、陽気な音楽、そして、“ボードヴィル”という言葉の似合うセリフの応酬。出演の秋場清之(情熱のフラミンゴ)西田夏奈子兵藤公美(青年団)と作・演出を手がける島村和秀に話を聞いた。
 

■試作を経て得た、飲み会では作れないコミュニケーションの在り方

――近年の情熱のフラミンゴは「ワークインプログレス」という試みを取り入れ、創作過程を発表する機会を積極的に作っていますよね。本作も昨年12月に試作が上演されていました。試作を経ての戯曲の変化も気になるところですが、稽古はどんな感じでしょうか?

島村:完全版で新しく描いたシーンももちろんあるのですが、試作を経たことで「精度を上げる」という段階から稽古がスタートできたことは大きいと思いました。とくに、コミュニケーション面。作品への視点や捉え方を共有したり、互いを知るっていう段階がすでに踏まえられているので、そこをブラッシュアップしながら本を読み込むという感じで進めています。

西田:試作の終演後に島村さんがzoomでの振り返り時間を作ってくれたんですよ。完全版の公演に向けてどうやっていこうかっていうのをそこでみんなで話して……。稽古でもそういう時間が設けられているので、本読みの段階でも結構深いところまでディスカッションができている手応えがありますね。私は情熱のフラミンゴへの参加が初めてということもあり、そういったコミュニケーションの場を都度作っていただいたことはとても有難かったです。

島村和秀

島村和秀

島村:コロナ禍での初めてのクリエーションが昨年の試作で、稽古中は「できないこと」の多さを痛感する時間でもあったんです。稽古場での雑談や稽古後の飲み会などの交流もその一つでした。そういった「できないこと」を別の形で代用したり埋めたりすることができないまま終わってしまった感じもあって……。zoomでの振り返りでも言ったんですけど、稽古場きて稽古してさよならーって帰る流れが何だか不自然な感じがしたんですよね。

西田:一見稽古と関係ないことを話しているように見えて、稽古だけだと聞けないようなことがぽろっと聞けたり、新たな発見をすることってありますよね。そういったやりとりが稽古の時間に活きてきたりすることもやっぱりあって……。飲み会でしゃべるようなことを稽古内に全員でやるのは新鮮でとてもよかったです。

西田夏奈子

西田夏奈子

兵藤:そうそう。飲み会とはまた違う、いい機会でしたよね。飲み会って行った人しかわからないことがあるじゃないですか?(笑)。それはそれで全然いいんですけど、zoomや稽古時間であえてそういった時間を設けることで、コミュニケーションのバランスや関係性が均等になるという発見がありました。 “ここだけの話”みたいなのではなく、みんなの前で話せることを話す場というか……。

西田:たしかに、飲み会は好きな人もいれば苦手な人もいますもんね。発言が満遍なく均等であるっていうのが、飲み会よりもディスカッションがしやすい理由なのかも。

島村:おお、よかった〜! やってみたら、飲み会よりもはるかに有意義だったみたいな……(笑)。そんな経緯もあって、完全版の稽古は徐々に劇をやる身体にしていくイメージで互いにインタビューをしたりしながらコミュニケーションを取りやすくしています。それから稽古をして、終わった後はクールダウンを兼ねてエクササイズして帰る。そういった一連の流れは意識的に導入しましたね。

日々のクリエーション風景をフィルムとデジタルの両面から記録している情熱のフラミンゴ。予告や試作のダイジェスト動画なども続々更新中。

日々のクリエーション風景をフィルムとデジタルの両面から記録している情熱のフラミンゴ。予告や試作のダイジェスト動画なども続々更新中。

 

ちょっとまてなくなってきた世相の中、新たに生まれたシーンたち

『ちょっとまって(試作)』のチラシ イラスト・デザイン/カナイフユキ

『ちょっとまって(試作)』のチラシ イラスト・デザイン/カナイフユキ

――本作は二人の女と一人の男の幽霊の三人芝居であり、女たちの会話シーンでは二人芝居的な見どころもありますね。そういった濃厚で不思議な構造も含めて、稽古で培われたコミュニケーションが活かされてきそうです。目を見張るようなお二人の会話劇も、秋場さん演じる男の鮮烈な登場シーンも印象的でした。

秋場:僕が演じる幽霊はある種の道化であり、モノローグ的な役割も兼ねているんですよね。歌も歌うので、初めての挑戦づくし!と言った感じです。

島村:アキバッチョ(秋場)は、情熱のフラミンゴのメンバーとして過去作品にも出演してくれていますが、今回の役どころは確かに新しいですね。

秋場:決めるところは決めなきゃ!っていうのはありつつ、女二人の会話に沈黙しながら関わっていくという役柄をどう立ち上がらせていくか。試作の台本から時間の流れが若干変わっていたりもするので、そこも踏まえて二人にどう絡んでいくかを日々考えています。

兵藤:私も完全版の台本に呼応してセリフの向き合い方にも変化が生まれました。女二人の関係性ももう少し複雑なんじゃないかな?って思ったり……。あらすじの冒頭に「言葉にできない関係がある。女1と女2はまさにそれである」ってあるんですけど、まさにそんな感じで人物間の複雑さの解像度が高くなっているようなイメージですね。

兵藤公美

兵藤公美

秋場:僕は昨日改めて改稿された台本を家で読んでいたら、すごく寂しくなってきて……。死んだ男が「人ではなく、モノ」って言われるシーンがあるんですけど、「ああ、そっか、僕は“モノ”なんだ」って。シンプルに男、可哀想だなあって思いました。

全員:あははは!

秋場:試作の時は死んだ直後のお話だったのが、完全版ではもう少し時間が経っちゃってるんですよね。放置されている時間が長いんです。セリフを借りれば、より“モノ”に近づいているというか……。孤独を感じます(笑)。でも、そこにも半年間の世相の変化を経たものが詰まっているのかなって思ったり。人でない様な人というか、人に扱われない人というか、そういったことが増えてる気もしたりして……。

西田:なるほど…。私が演じる女2の心情としては、男を「“モノ”なのだ」と言い聞かせている節もある気がするんですよね。本心はまだ想像しきれていないけれど、人の形がなくなっちゃったらその人じゃなくなっちゃう部分が少なからずあるわけで、そういった不可逆的なものも感じます。女1と女2同様に、男と女2の関係も、さらに言うと男と女1の距離感も全部が言葉にならないものなんですよね。その辺りは試作の時に掴みきれなかったことの一つだったかも。

秋場清之

秋場清之

――完全版の始動にあたって、みなさんそれぞれに新たな発見があったのですね。生きている女二人と幽霊の男、存在と不在、日常と非日常……様々な見解が持てそうなお話でした。実際、台本の改稿にはどんな創作背景があったのでしょうか?

島村:コロナ禍で書いた戯曲なので、世相の影響は大きく受けていると思います。政治で「おや?」と思うこともあったし、緊急事態という異様な空気感に対する飲み込めなさ。そういった “ちょっとまって感”が反映されたのが試作だったんですよね。そこから半年を経て、世相もさらに変わってきた。みんながちょっと待てなくなってきているし、ちょっと待ったところでどうしたらいいか誰もわからない状態で、より深刻になった印象があって……。日常から逸脱した出来事に対するある種の興奮も相まって、試作は躁と鬱なら試は躁の部分が強かったけど、完全版は鬱が強い。興奮が去り、異常が日常になっちゃったっていう複雑さがプラスされた気がします。

兵藤:たしかに、完全版の台本はより刻んできているというか、細かく詰まってきているイメージがありますね。試作の時は書かれていることを自分なりに立ち上げようっていうレベルでやっていたのですが、今回はそれでは足りなさそうだなって。もう少し自分に何かチャレンジを設けなきゃいけないと感じました。そういう意味で、演技も変わりそう。今はそんな自分の課題を見つけようともがいている感じです。

西田:チャレンジ面でいうと、私も試作の時は少し気を張っていた部分がありましたね。背伸びもしていたかもしれないし、正直になりきれないところもあったかもしれないなって。最善は尽くした!という思いはもちろんあったのですが、自分の中でもっと切り込めたかもしれないと思った瞬間も何回かあったので……。そのあたりも高めていきたいですね。

 

人間の“わからなさ”をドライに魅せる、島村戯曲と演出の魅力

――西田さんは参加前から情熱のフラミンゴの過去作を観劇していらしたとお聞きしました。兵藤さんも『LOVE BUTTLE FIELD』から3度目の出演、秋場さんは情熱のフラミンゴの一員として作品を見つめてきてこられました。みなさんが思う、島村さんの戯曲や演出の魅力とはどんなところでしょうか?

兵藤:島村さんの戯曲って、「言葉にならなさ」や「わからなさ」みたいなものにすごく”幅”を感じるんです。人との関係の中に「こういうことってあるよなあ」っていうことが出てくるんだけど、いざ稽古で立ち上げていくと、段々人間というものがわからなくなっていく感覚があって……。「人ってこうだよね」っていうことを断定しない本だから、こちらも絶対にこうじゃないとだめ、これしかできないってことがないんです。だからこその臨場感があるというか。

島村:それを聞いて、自分でもすごく腑に落ちました。どこかで同化させたくないという気持ちがあるんですよね。今作でも、女二人の会話劇に熱中していくにつれて「あ、二人の言ってることわかるかも」と思った瞬間に、男の様子を見て「やっぱり全然わかんないや」ってなるみたいな。入れたと思ったのに入れない瞬間というか、同化と異化が風景の中に繰り返されていく感じが好きなのかもしれません。

西田:私も観客として観た時に同じようなことを感じました。感情の変化とか見せ方が独特ですよね。「人が本当は何考えているかわからない」っていう部分をきちんと見せていて、それも湿っぽい感じじゃなく「そういうものです」という感じで見せる。ぐぐぐーっと物語に入り込んで号泣とかはないんだけど、ただただ静かに衝撃を受けるというか、もう見ているしかないという感じ(笑)。目撃していることが面白いという不思議な魅力があります。

兵藤:逆に言うと、ありえない出来事や行動が起こっても、やりとりが出来上がっていっちゃう不思議もある。通常の演技から外れていく感覚があるんですよね。それに加えて、「このシーンはこんな感じでいこう」っていうコンセプトが俳優各々にあるじゃないですか?自分は台本をこう読んだけど、西田さんや秋場くんは違ったっていうところ。そこがまた面白いんですよね。自分の思い込みにも気付く側面もあるし、そういうところに一緒にやる豊かさや刺激があるなあって。どこへいくかわからないことをたくさん試していきたいですね。

西田:そうですね。この人たちは実際どんな関係だったんだろう?その関係はどう展開していくんだろう?っていうところ。そこはお客さんが想像を楽しむ部分でもあるし、その想像はこちらが語る言葉から汲み取られるものなのでみんなでたくさん考えていきたいですね。

稽古の様子

稽古の様子

秋場:こうして話していても、自由度の高い戯曲で創作の場なのだなと感じますね。僕はこれまでも情熱のフラミンゴの作品に関わってきたので、カズカズ(島村)のやり方が当たり前のように思っていた部分があったんですけど、改めて俳優に任せてくれていることの多さに気づきました。少し前にある一つの戯曲でカズカズ(島村)と別の演出家さんに同時に演出を受けるワークショップのような機会があって、すごく新鮮にそのことに気づいて……。

島村:アキバッチョからこういうことを聞くのは、何気に初めてかもしれません(笑)。

秋場:俳優が考えてきたことの中に良さや面白みを見つけてくれる。それが自分では気づかないようなことだったりもして……。だから、自分の中でも改めて「次はこういう風にやってみようかな」「こうしたらもっと面白がってもらえるかな」と考える。役と向き合う機会が更新されて返ってくるような感覚があります。セリフのやり取りも”日本語吹き替えバージョンの喧嘩”みたいなニュアンスがあって、そういう島村戯曲の持ち味みたいな部分は本作に引き継がれているし、その濃度は濃くなってる気がします。

 

■情熱のフラミンゴ作品に流れる、海外の香り

――ちょっと私感になってしまうのですが、私も過去作を拝見してきた中で情熱のフラミンゴの戯曲にふんわりと海外の香りを感じていました。なので、秋場さんの“日本語吹き替えバージョンの喧嘩”という言葉がしっくりきました(笑)。

島村:自分でもわかる気がします(笑)。むしろ最近、自分が日本人じゃないんじゃないかって思い始めてるくらいなんですよね。ガタイもだし、考えていることや言動も……。

兵藤:そうだったんだ!(笑)

島村:なんか、日本の音楽の歌詞も日本語と英語の垣根がなくなってきてるじゃないですか?ラップもロックも。僕もそんな風に自分の日本人的価値観を劇作の中でひねりたい!と思い続けていたんですよね。でも、今回は考えすぎずに自分のやりたい言語感と世界観でやっちゃおう!って思って作ったらこんな外国のようなものができました、という感じです。なんか、日本人シェフが作る異国料理みたいですね……(笑)

全員:あはははは!

西田:あんまりウェットじゃないというか、ちょっとドライなところが和風っぽくないのかな。そこが海外戯曲を彷彿させるところなのかな?って今思いました。今回、試作と完全版と2バージョンの台本を見て感じたのは、あれだけのセリフ量があってずっと面白いと思えるのがすごい!

兵藤:私たちの世代って羞恥心や隠すことを美徳とするような、そういった世代感が割とあるなあと思っているんですけど、島村さんの戯曲はそういう感覚が更新されるようなところがあります。だからといって言いたいことは全部言おうってことでもなく、詩的な言葉の使い方が入っていながらもやりとりは極めて現代的であったりして……。自分がこれまで経験してきた演技体のままやれる台本でもないなあと思ったりもします。

西田:反復も多いんですけど、繰り返すだけあって、徐々に高まっていくものを作っている感覚もあります。さっき秋場さんが言ったみたいに、その中に「次はこうしてみよう」っていうやりようもある。日常で何か心がちょっと動いたりした時にセリフの意味が追いかけてくるような感じもあって、「この感覚久しぶり!」って思いましたね。いろんなところから光の当てがいがある台本だから、是非、台本が読める特典付きチケットを買ってください!と、ここでおすすめしておきます(笑)。

兵藤:さすがです、西田さん!(笑)。自分の想定を越えたところに何かがあるんじゃないか、自分自身も更新できるのかなあなんてことを感じる台本ですよね。

 

■メキシコ音楽とクラシカルな空間と手を取り合って

会場となるプーク人形劇場

会場となるプーク人形劇場

――音楽という言葉も出ましたが、情熱のフラミンゴ作品は楽曲の選び方や使い方にもこだわりを感じます。今回はメキシコの「マリアッチ」という音楽が使われていて、プーク人形劇場という場所とのマッチングも魅力だと感じました。

兵藤:不思議な空間ですよね。上は高いんだけど間口は小さくて、絵本のような感じ。人形が劇をやる場所だから、その人形感を楽しく感じているのはあるかも。サイズを間違った人形がぎゅうぎゅうと暴れちゃっているみたいな。物理的な密感はないんだけど、この劇そのものの密感というか、外界から閉ざされた設定ともマッチするのかなっていう感じがしますね。

秋場:椅子や幕も可愛いし、おもちゃ箱って感じもあります。あの幕の前でピンスポットを浴びて歌って踊って戯けるのはとても楽しいしドキドキしますね。『トイ・ストーリー』の、人間が寝静まった後におもちゃ達がおずおずと動き出すあの感じを思い出しました。

島村:たしかに!あと、建物そのものの歴史も大きいですよね。いわゆる小劇場とはまた違う、文化というか歴史的な香り。クラシックな趣きがあります。

西田:名曲喫茶感もあります(笑)。晴れ晴れしくピカーッって感じじゃないんだけど、そこにぼーっと人がいるのが似合う空間だなって思います。兵藤さんが言ったみたいに、小さいところに大きな人たちが入れられてしまったような。だから、リアリティから少しかけ離れたことをしても受け止めてくれるというか。誰も見ていない場所で、実はこういう話があったんです…って話し出す感じ。

島村:そうなんですよね。こっそり感、ありますよね。いろんな人の「ちょっと、まって」をこっそり、でもしっかりと目撃してもらえたらと思います(笑)。試作を観た方も観ていない方も楽しんでいただけるように皆さんと一緒に作っていますので、是非約80分間の『ちょっとまって(完全版)』お楽しみください!


【情熱のフラミンゴprofile】

情熱のフラミンゴ 写真/玉井美世子

情熱のフラミンゴ 写真/玉井美世子

島村和秀(演劇作家)、服部未来/MIKI the FLOPPY(ダンサー)、秋場清之(俳優・ラッパー)を中心に活動する演劇ユニット。舞台芸術は「共生」について考えるメディアであるという信念のもと、日常生活では可視化されずらい人間の衝突や矛盾、喜びを喜劇的かつスリリングに表現するのが特徴。また、古典や近代文学の引用、ソウルミュージックや民族楽器の生演奏など、歴史や土地の文化芸術を意図的に混ぜ合わせた、複雑でエネルギッシュな現在を表現する。

取材・文/丘田ミイ子
写真/情熱のフラミンゴ提供

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2021年7月4日(日)午後2:00~5:24、BS-TBSにて、劇団☆新感線の2018年の舞台作品『修羅天魔~髑髏城の七人 Season極』が放送されることが決定した。

本作品は2017年から2018年にロングラン上演された劇団☆新感線『髑髏城の七人』の第5弾。シリーズの最終を飾る本作では物語も一新。主演に天海祐希を迎え、劇団☆新感線の看板俳優・古田新太が迎え撃つ。『髑髏城の七人』でありながら、捨之介も蘭兵衛も出てこない“もうひとつの『髑髏城の七人』”。

劇団☆新感線の『髑髏城の七人』は、1990年の初演以来7年ごとに上演されてきた劇団最高傑作と称されており、2017年3月から2018年5月には、花・鳥・風・月(上弦の月・下弦の月)・極と銘打った5シーズン6作品がロングラン上演された。作を中島かずき、演出をいのうえひでのりが担当し、また、各作品に登場する超豪華キャストに加え、日本初の客席が360°回転する劇場・IHIステージアラウンド東京のこけら落とし公演として上演されたことでも話題を集めた。

シリーズ累計55万人を動員した大ヒット舞台の最後を飾った本作品。この機会を見逃さないでおこう。

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2021年6月9日(水)シアターサンモールにて、舞台『白からはじまる世界』が開幕した。初日にあたり、舞台写真が届いた。

本作は、2016年放送、前田敦子の大胆な演技で話題を呼んだTBSテッペン!水ドラ!『毒島ゆり子のせきらら日記』にて第35回向田邦子賞を受賞し、その後も話題のTVドラマ・映画・舞台と多くの脚本を手掛ける矢島弘一(東京マハロ)が書き下ろした新作。

脚本・演出を矢島が手掛け、キャストには、井澤勇貴、小野健斗、清水一輝、百瀬朔、森一弥、水原ゆき、篠原あさみ、西野優希、宮下貴浩、富田翔が出演。

物語は、アイドルグループの中で歌って踊る男が脚本家を目指し、成功を夢見ることからはじまる。「自分の家族」を題材にした作品で見事ヒットするも、それは不幸への始まりであった……というもの。

本公演は、2020年6月に上演が予定されていたが、 新型コロナウイルス感染拡大により公演が延期となっていた。今回、昨年以上に感染拡大防止策を万全に施し、6月16日(水)まで同劇場で公演される。

 
【あらすじ】
歌って踊る男のもう一つの顔は脚本家。いつか脚本家として頂点に立つ夢を抱いているが、そう簡単に良作が生まれるはずもなく、皆からは反対されバカにされ……迷った挙句、最後に選んだ題材は「自分の家族」。

僕の味方は自分。僕の敵も自分。
それを教えてくれる家族。
白から始まる世界の中で僕は生きている。

 

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日本仏教美術1400年の歴史をたどる『奈良博三昧-至高の仏教美術コレクション-』が、7月17日(土)から912日(日)まで、奈良国立博物館にて開催される。

「奈良博(ならはく)」の愛称で親しまれる同博物館は、明治28年(1895年)に日本で2番目の国立博物館として開館して以来、古都奈良の社寺に伝わった仏教美術の保管や展示公開してきた。館蔵品は仏像、仏画、写経、仏教工芸の作品が多く、約2,000件にのぼる。

同展では、その中から選りすぐられた国宝13件、重文100件を含む合計245件の作品を公開。展示は全10章からなり、ブッダの造形から飛鳥・白鳳・天平の古代寺院に始まり、日本仏教黎明期の古代寺院の遺宝、密教や浄土教が生み出した仏像・仏画、神とほとけが織りなす神仏習合の造形など、各時代にわたる名品によって構成される。「三昧(ざんまい)」とは、一つの対象に心を集中することを意味する仏教由来の言葉で、特に熱心にほとけの姿をみることを「観仏三昧(かんぶつざんまい)」と呼ぶことから、展示会名が『奈良博三昧」と名付けられた。

本展の見どころ

国宝 薬師如来坐像 平安時代(9世紀) 通期

国宝 薬師如来坐像 平安時代(9世紀) 通期

まずは奈良博のエース作品で、明治時代初頭まで、京都東山の若王子社(にゃくおうじしゃ)に伝わった国宝「薬師如来坐像」。同像は彫の深い顔立ちや、衣のひだの鋭い彫りに檀像の特色が顕著で、膝が台座からは み出す表現や、衣文の彫り方は京都・東寺講堂諸像とよく似ている。

国宝 十一面観音像 平安時代(12世紀) 前期

国宝 十一面観音像 平安時代(12世紀) 前期

もう一つの奈良博のエースで、平安仏画を代表する国宝、「十一面観音像」も展示される。金箔を細く切った截(きり)金文様で華麗に装飾され、 斜めを向く姿勢や体の線に沿って施される朱の隈取りなど、奈良時代に源をもつ古様な表現が認められる。

重要文化財 弥勒如来坐像(長崎県鉢形嶺経塚出土) 平安時代 延久3年(1071) 後期

重要文化財 弥勒如来坐像(長崎県鉢形嶺経塚出土) 平安時代 延久3年(1071) 後期

そのほか、石の塊から彫り出した重要文化財の「弥勒如来坐像」や、川端康成旧蔵で美しくカーブする鈷や柄中央の高く突出する鬼目(丸い部分)を持つ「三鈷杵」など、仏教美術の教科書的な作品を展示予定。

さらに後期のみの展示となるが、疫病や災いを引きおこす鬼とたたかう5人のヒーロー、「天刑星(てんけいせい)」「栴檀乾闥婆(せんだんけんだつば)」「神虫(しんちゅう)」「鍾馗(しょうき)」「毘沙門天(びしゃもんてん)」が描かれた国宝、「辟邪絵」も公開。平和を守る神々の勇ましくもユーモラスな姿を見事な筆致で描く、平安絵巻を代表する作品が5場面同時に見ることができる。

チケットは現在、前売りと企画チケットを現在販売中。研究員レクチャー付きで、閉館後に展示室でゆったり観覧できるチケットはイープラスのみ、90枚限定で販売中。

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adieu(上白石萌歌)が、小説投稿サイト「monogatary.com」とコラボレーションした企画を行うことが決定した。

企画のお題は「よるのあと」のミュージックビデオや歌詞から創造したアフターストーリーを募集するもので、「よるのあとのあと」のストーリー募集となる。大賞作品については物語をベースに、adieu「よるのあと」とコラボしたアートムービーを制作し、「よるのあと」のその後を描く”アフターMV”として公開する予定とのこと。

なお、今月末には2ndミニアルバム『adieu 2』のリリースを控えており、同作の通常盤には「よるのあと-FROM THE FIRST TAKE」も収録される。

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梶裕貴が、TOKYO FMで放送中のラジオ番組『山崎怜奈の誰かに話したかったこと。』内の人気コーナー「カワイ肝油ドロップ presents よ・み・き・か・せ」に登場。6月14日(月)~6月17日(木)の期間、絵本を読み聞かせる。「よ・み・き・か・せ」は各日の14:30頃放送。放送は、radikoでのタイムフリー視聴も可能だ。

【コメント】梶裕貴

『わるいわるい王さまとふしぎの木』は『周りを変えたいならば、 まず自分から変わらなければ』ということを教えてくれる絵本です。誰かに親切にすれば、そのぶん親切が返ってくる。『何か失敗をしても、人はまたやり直せる』というエールも込められているような気がします。 "しあわせの実"が見つかるかどうかは、自分次第。

『おじいちゃんのごくらくごくらく』は、"極楽"というひとつの言葉で、それぞれ違う意味合いのテーマを扱っている、考えさせられる絵本だなと感じました。主人公のゆうたくんにとって、はじめての身近な"死"であろうことを意識して、あえて感情の起伏を抑え、まだ理解できていない様子を表現できればなと思い、朗読しました。 

【放送スケジュール】

各日14:30頃より放送

6月 14日(月)「わるいわるい王さまとふしぎの木」 【前】
6月 15日(火)「わるいわるい王さまとふしぎの木」【後】
6月 16日(水)「おじいちゃんのごくらくごくらく」【前】
6月 17日(木)「おじいちゃんのごくらくごくらく」【後】

今回、 梶がよみきかせるのは、『わるいわるい王さまとふしぎの木』、『おじいちゃんのごくらくごくらく』の2冊。

■『わるいわるい王さまとふしぎの木』(作:あべ はじめ /あすなろ書房)
砂漠の真ん中に住む王さまは、わがままで、 いつもプンプン怒ってばかり。 いつでもだれにでも、 二言めには「首をはねてやる!」。 こんなにわるい王さまなんて、 聞いたことがありません。 でも、 あるとき……。

■『おじいちゃんのごくらくごくらく』(作:西本 鶏介 絵:長谷川 義史 / すずき出版)
おじいちゃんはお風呂に入ると、いつも言います。 「ごくらくごくらく」…この言葉は、 いつしかおじいちゃんとゆうたをつなぐ合言葉となりました。 おじいちゃんと孫の絆を描き出したお話です。

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2021年6月3日(木)、東京・歌舞伎座で『六月大歌舞伎』が開幕した。千穐楽は28日(月)。第一部は尾上菊五郎、中村芝翫、続く第二部では片岡仁左衛門と坂東玉三郎、さらに第三部では松本白鸚、市川猿之助らが出演し、「大歌舞伎」と呼ぶにふさわしいバラエティに富んだ演目が並ぶ本公演をレポートする。

■第1部 11時開演

一、御摂勧進帳 加賀国安宅の関の場

「芋洗い勧進帳」の通称で親しまれる本作の主人公は、武蔵坊弁慶(芝翫)。

オープニングから、新庄鈍藤太(中村松江)や出羽運藤太(中村吉之丞) の掛け合いが楽しく、歌舞伎十八番『勧進帳』とは明らかに世界観が違う。

兄の頼朝に命を狙われる源義経(中村雀右衛門)は、忠臣の四天王(大谷桂三、中村歌昇、市川男寅、中村歌之助)、そして弁慶を伴い、都から逃げている。山伏に変装した一行は、安宅の関を突破しようとするが、関守に呼び止められてしまう。義経、大ピンチ! そこへようやく弁慶が追いつくのだった。

『御摂勧進帳』左より、源義経=中村雀右衛門、武蔵坊弁慶=中村芝翫、富樫左衛門=中村鴈治郎 /(C)松竹

『御摂勧進帳』左より、源義経=中村雀右衛門、武蔵坊弁慶=中村芝翫、富樫左衛門=中村鴈治郎 /(C)松竹

花道からドカドカ登場する弁慶は、歌舞伎十八番ver.の弁慶の品のある装いと思慮深いキャラクターと、まるでちがう。緋色の衣(ベスト?)に毬栗鬘。足元は金色の鋲(スタッズ?)が入った緋色の履物(レギンス?)というド派手な出で立ち。関所で呼び止められるのもいたし方ない。勧進帳こそ読み上げるが、今回の弁慶は(主君への申し訳なさとは別の理由で)わんわん泣いたり、暴れたり。クライマックスには巨大な天水桶の上に立ち、桶の中の番卒たちの生首を金綱杖でゴロゴロかき混ぜる“芋洗い”を披露する。

興味深いのは、『芋洗い勧進帳』が、歌舞伎十八番の『勧進帳』よりも歴史が長いところだ。決して歌舞伎十八番のパロディではない。現代劇で再現したら物騒&シュールすぎる“芋洗い”が、大らかな荒事のハイライトとして成立するところに、歌舞伎の懐の深さを感じる。観ている側は、縁起の良いものを観た気持ちにさえなる。それもそのはず。江戸時代、疱瘡(天然痘)のことを「芋」と呼び、緋色には疱瘡除けの力があると信じられていた。芋を洗う本作には、疫病退散の願いが込められている。芝翫の弁慶による豪快な芋洗いに、大きな拍手が贈られた。

二、夕顔棚

2演目は、大らかな時代物から一転、清元の舞踊『夕顔棚』が上演される。菊五郎がお婆さん役を、市川左團次がお爺さん役を勤める。お風呂上がりの2人が、庭先で夕涼みをする。軒先には夕顔が咲き、空には白い月がぼんやりと浮かぶ。そこへ、花燈籠を頭に掲げた里の男(坂東巳之助)と里の女(中村米吉)が、お揃いの浴衣で手をとりあって訪ねてくる。盆踊りへの誘いだ。瑞々しく愛らしい若い2人に、爺と婆は、昔の自分たちを重ねてみるのだった……。

『夕顔棚』左より、婆=尾上菊五郎、爺=市川左團次 /(C)松竹

『夕顔棚』左より、婆=尾上菊五郎、爺=市川左團次 /(C)松竹

爺と婆がお互いに向ける眼差しが優しい。蚊を追い払ったり入れ歯を探すなど、笑いと生活感のある要素もある中で、印象に残るのは、淡い幻想的な美しさだ。菊五郎と左團次が創る穏やかで幸せな景色に、ひととき心を遊ばせてほしい。

■第2部 14時10分開演

桜姫東文章 下の巻

4月、仁左衛門と玉三郎による『桜姫東文章(さくらひめあずまぶんしょう)』が、36年ぶりとなる奇跡の再演を果たした。その後編が、「下の巻」として第二部で上演されている。「上の巻」では、高僧の清玄(仁左衛門)が、吉田家の息女・桜姫(玉三郎)を、元恋人の稚児・白菊丸(玉三郎)の生まれ変わりであると信じ、桜姫のために破戒僧となる。堕ちた清玄が、桜姫と権助(仁左衛門)の間に生まれた赤子を抱き、桜姫を恋しがる哀れな姿が、目に耳に残る中での「下の巻」だ。

『桜姫東文章 下の巻』左より、桜姫=坂東玉三郎、清玄=片岡仁左衛門 /(C)松竹

『桜姫東文章 下の巻』左より、桜姫=坂東玉三郎、清玄=片岡仁左衛門 /(C)松竹

清玄は、ますますボロボロになり、ほの暗い地蔵堂の草庵で、かつての弟子・残月(中村歌六)と、かつての吉田家の局・長浦(上村吉弥)の世話になっている。しかし長浦と残月は、青トカゲの毒で清玄を殺そうとする。揉み合いの末、清玄は殺されてしまう。そこへ折よく権助が訪ねてきて、墓穴を掘る。さらに折よく桜姫が、かどわかされて連れられてくる。偶然が続き、清玄は落雷で奇跡的に息を吹き返す。ついに桜姫と再会するも、思いが叶わないと知った清玄は、出刃包丁を持ち出して……。

『桜姫東文章 下の巻』左より、釣鐘権助=片岡仁左衛門、桜姫=坂東玉三郎 /(C)松竹

『桜姫東文章 下の巻』左より、釣鐘権助=片岡仁左衛門、桜姫=坂東玉三郎 /(C)松竹

清玄は、思いが強いばっかりに、踏んだり蹴ったりの目に遭っている。今生に執着したばっかりに心中に失敗し、白菊丸(と重なる桜姫)に執着があったばっかりに破戒僧となり、桜姫への思いが切れなかったばっかりに落命する。抜群の執着心の賜物だろうか、清玄の声は、今も異様に耳に残っている。

『桜姫東文章 下の巻』左より、桜姫=坂東玉三郎、釣鐘権助=片岡仁左衛門 /(C)松竹

『桜姫東文章 下の巻』左より、桜姫=坂東玉三郎、釣鐘権助=片岡仁左衛門 /(C)松竹

一方、権助は混じりっけなしの悪さとワイルドな格好良さで、今月も客席を震撼させる。穴を掘る姿さえ美しい。夫婦になった桜姫を、ライトなノリで女郎屋に預けるサイコパスぶりも発揮する。そんな権助を、なぜか恋慕う桜姫は、時には戸惑いをみせつつも、常に軽やか。悲壮感のなさが、可憐さを愛嬌にする。姫から遊女へ、そしてまた姫へ。唯一の軸と思われた権助への恋心さえ、切り捨てていく姿は清々しい。4月、6月ともにすぐさま完売となった公演だ。次は36年後と言わず、またすぐにでも再演してほしい。

■第3部 18時開演

一、銘作左小刀 京人形

『京人形』は、彫り物職人の左甚五郎(白鸚)が主人公のごきげんな舞踊劇だ。甚五郎は、日光東照宮の「眠り猫」の作者として知られる江戸時代初期の伝説の名匠。京の廓で小車太夫に一目惚れし、太夫そっくりの人形(市川染五郎)を等身大で彫り上げる。女房おとく(市川高麗蔵)に“仲居役”をお願いし、自身は“御大尽気分”で人形を相手に酒を飲みはじめる。すると人形が動き始め……。

『京人形』左より、左甚五郎=松本白鸚、京人形の精=市川染五郎 /(C)松竹

『京人形』左より、左甚五郎=松本白鸚、京人形の精=市川染五郎 /(C)松竹

白鸚の甚五郎は、観ているこちらまでニヤついてしまうほど嬉しそう。それほど惚れ込むとは、どれほど素敵な太夫だろうか。いよいよ染五郎の京人形が箱から姿を現すと、端正な美しさに、マスクの中でため息がもれたのは1人や2人ではないはず。カクカクとした可笑しみある人形振りは、見た目の美しさとのギャップで笑いを誘う。人形に太夫の魂が宿ると、人形っぽさを絶妙に残した女方の振りが楽しませた。白鸚は、染五郎、そして大谷廣太郎の奴照平、中村玉太郎の井筒姫といったフレッシュなキャストを、深く大きな芸でエレガントに包み込む。京人形をしまい、井筒姫を逃がしてからは、白鸚の独壇場だ。大工たちを相手にユニークな立廻りをする甚五郎は、そこまでの何倍もスケールアップしてみえた。

二、日蓮ー愛を知る鬼(ひと)ー

最後の演目は、横内謙介の構成・脚本・演出、猿之助が演出・主演の『日蓮 ー愛を知る鬼(ひと)ー』。「日蓮聖人降誕八百年記念」として企画されたもので、主人公は日蓮聖人。ただし本作が描くのは、日蓮がその名前で日蓮宗を開くより前の、蓮長と名のっていた頃のことだ。

『日蓮』左より、阿修羅天=市川猿弥、善日丸=市川右近、賤女おどろ=市川笑三郎、蓮長後に日蓮=市川猿之助 /(C)松竹

『日蓮』左より、阿修羅天=市川猿弥、善日丸=市川右近、賤女おどろ=市川笑三郎、蓮長後に日蓮=市川猿之助 /(C)松竹

時は、鎌倉時代。戦乱や天災、疫病の流行、蒙古襲来などの苦難が人々を苦しめていた。舞台となるのは、天台宗の開祖・最澄が建てた比叡山延暦寺だ。蓮長は、他の修行僧たちと折り合いが悪くなっていた。その一因は、蓮長の思いの強さにあるらしい。蓮長は修行を積むうちに、釈迦の教えとしてたくさんの経典がある中で「法華経だけが唯一の尊い経典だ」という結論に至る。これを強く主張するあまり、法華経以外に対して否定的な態度をとっていたのだ。

猿之助は、5月に行われた会見で「日蓮さんはスーパースター。良くも悪くも色がある」と、本作のテーマの扱いの難しさについて言及していた。劇中では、蓮長の思想を描くことから一歩も逃げることなく、ひとりの人間である蓮長の葛藤と、そこから見いだす希望を描く。そして蓮長の激しい気性と表裏一体の、深い愛に光があたりはじめる。

『日蓮』蓮長後に日蓮=市川猿之助 /(C)松竹

『日蓮』蓮長後に日蓮=市川猿之助 /(C)松竹

これを支えるのが、澤瀉屋一門の俳優陣だ。市川猿弥、市川笑也、市川寿猿、市川弘太郎、市川右近たちが安定感抜群の芝居で、横内と猿之助のイメージする物語にレールを敷く。市川笑三郎の賤女おどろが起爆剤となり、突き抜けた先で、市川門之助の最澄が光をみせ、中村隼人が清廉な成弁で、華を添えていた。猿之助は、台詞に緩急をつけながらギアを上げ、ラストには圧倒的な存在感でカタルシスを生む。清らかで眩しくてあたたかい衝撃が、歌舞伎座を満たした。

本水や宙乗りといったケレンこそないが、現代的な音楽や、踊り、そして時代を超えて人間に向けられる愛はスーパー歌舞伎に通じるものを感じさせる。万雷の拍手の中で終演した。

名優がそろい、スーパースターが続々と登場する『六月大歌舞伎』は、東京・歌舞伎座で28日(月)までの上演。

取材・文=塚田史香

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2021年9月、東京・兵庫にてタカラヅカ・ライブ・ネクスト 第一弾主催公演The Beginning of TAKARAZUKA LIVE NEXT!!『アプローズ』~夢十夜~が上演されることが決定した。この春宝塚歌劇団を卒業した彩凪翔が新たな舞台へ羽ばたく。

2021年9月8日(水)~9日(木)日本青年館ホールにて行われる東京公演には彩輝なお、9月23日(木・祝)~26日(日)宝塚バウホールにて行われる兵庫公演には水夏希がそれぞれスペシャルゲストとして登場する。なお、終演後彩凪翔と出演者の中から日替わりで登場するアフタートークショーの開催も一部公演にて予定されている。アフタートークショーの開催日程は公式サイトにて確認してほしい。

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2021年6月24日(木)~27日(日)「浅草花やしき」内「浅草花劇場」にて行われる、鼓童創立40周年特別企画 鼓童浅草公演『歩』。この度、4日間全7公演のインターネットライブ配信が決定した。

鼓童は1981年、ベルリン芸術祭で鮮烈なデビューを果たし、以来、公演数は世界52カ国で6,500回以上を数える。現在、日本のプロフェッショナルの公演団体として最も数多くの海外公演を行っている。

今回、鼓童が創立40周年特別企画として、日本最古の遊園地「浅草花やしき」内「浅草花劇場」での4日間計7回の連続公演が実現した。2020年、鼓童在籍30年を迎えた見留知弘を筆頭に、鼓童精鋭メンバーが贈る疾走感、見応え溢れる60分。鼓童の次世代を牽引する住吉佑太が、鼓童のこれまでとこれからの歩みを紡ぐ。

なお鼓童と浅草の縁は深く、2013年から続く年に1度の浅草定期公演。会場は来年改修工事を迎える浅草公会堂に代わり、開園 167 年の歴史を持つ「浅草花やしき」内「浅草花劇場」。鼓童としては初の会場となる。

鼓童浅草公演『歩』は全国へのツアーはなく、浅草だけでしか見られないスペシャルな公演ということもあり、一般発売開始からわずか2日間で完売。そのため、急遽インターネットライブ配信が決定した。浅草で行う記念すべき特別な瞬間を世界中のどこからでも見ることができる。この機会を見逃さないでおこう。

演出:住吉佑太 コメント

住吉佑太

住吉佑太

浅草花劇場は、とてもお客様との距離が近い劇場です。
いつも以上に、演者の息が伝わる作品にしたいと思っています。
そんな劇場の空気感を、そのまま配信いたしますので、時には生の舞台以上に、近く、鮮明に、
感じられるところもあるかもしれません。
劇場とはまた違った臨場感を
ぜひ、おうちでも!!

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2022年3月から4月にかけて、東京・東京芸術劇場シアターイースト、大阪・梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて、芸能生活30周年を迎えた朝海ひかる主演『サロメ奇譚(仮)』の上演が決定した。

オスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』はこれまで多くのアーティストの創作意欲を刺激し、オペラ、バレエ、映画、舞台などの様々なジャンルで上演され、またサロメを原作とした多くの翻案作品が作られてきた。今回脚本を手掛けるのは、主宰する演劇ユニット「ブス会*」を始め、近年ではTVドラマの脚本にも活躍の場を広げ、現代を生きる女性を独自の観察眼で描き出すペヤンヌマキ。演出は、劇団文学座に所属し2013年に初演出以降、多くの劇団内外作品にて演出を担当する新進気鋭の稲葉賀恵が手掛ける。王女サロメはなぜ預言者の首を求めたのか。若さゆえの無垢な欲望なのか、心に潜む闇の現れなのか、それとも―。サロメの奇怪な望みを謎解くべく、彼女の生い立ちと彼女を取り巻く家族に焦点をあてながら、リアリティある等身大の女性としてサロメを描く。

王女サロメ役は、1991年に宝塚歌劇団月組公演「ベルサイユのばら」で初舞台を踏み、芸能生活30周年を迎えた朝海ひかる。宝塚歌劇団退団後は、ミュージカルのみならず、ストレートプレイや映像作品など活躍の場を広げてきた朝海の30周年から次の31周年目の芸能生活に向けて一歩を進みだすスタートの作品となる。

共演には、サロメの母親に、劇団「ナイロン100℃」に所属し、舞台を中心に映像やナレーション、コラムニストとしても幅広く活躍している松永玲子、地下牢に幽閉されている預言者には、近年2.5次元ミュージカルで注目を浴びストレートプレイや朗読劇など新たなジャンルで活躍の幅を広げる若手俳優の牧島輝、ユダヤの王でありサロメの義父を演じるのは、テレビドラマや映画を中心にコミカルな役どころから味のある名脇役として活躍するベンガルと実力派キャストが集う。朝海ひかる、ペヤンヌマキ(脚本)、稲葉賀恵(演出)よりコメントが到着した。

朝海ひかる

この度、私の芸能30 周年記念公演の演目には何が面白いか…演出の稲葉さんにお願いした所、いくつか挙げてくださりその中の一番最初に挙げてくださった戯曲が『サロメ』でした。私も何度か拝見しているこの作品ですが、サロメが「少女」という事もあり、完全に一観客として観劇してました。「今の私」が表現できる『サロメ』を脚本のペヤンヌさんがどう炙り出すか、稲葉さんがどう演出されるか。とても楽しみでなりません。皆様、目撃者となり様々なモノを感じて頂けたら、この上ない周年公演となります。劇場でお待ちしております。

ペヤンヌマキ(脚本)

朝海ひかるさん芸能生活30周年の記念すべき公演の脚本を書かせていただくことになり、ドキドキしております。
題材は『サロメ』とのこと。『サロメ』と聞いて真っ先に思い浮かんだのは生首を持って微笑んでいる女性の姿で、残酷で官能的なイメージだけが強かったのですが、ひとりの等身大の人間として共感できるサロメを描いてみたいと思いました。また、様々な芸術家を魅了してきたサロメと朝海ひかるさんの魅力が重なるような作品にもしたいと構想を練っております。これまで硬派な作品を緻密に演出してこられた稲葉さんとの初めてのクリエイション、個性豊かなキャストの皆さんの肉体を通して、どんな『サロメ』になるのか楽しみです。

稲葉賀恵(演出)

宝塚時代の朝海ひかるさんを印象深く覚えています。男役でありながら、時に少女のように可憐。無垢な瞳をのぞかせたと思ったら次の瞬間妖艶な姿に様変わりする。「耽美」という言葉がとても似合う方でした。数年後こうして一緒にクリエイションする機会を頂き、まず私が提案したのが『サロメ』でした。無垢でありながら残酷で、少女でありながら妖艶。複雑怪奇なあのサロメという役を朝海さんならどう演じるのか、誰よりも私が観客席で観てみたかったのです。今回、翻案にペヤンヌさんが参戦してくださいます。そして共に作品を立ち上げるキャスト陣に、こんな胸躍る方々が集まりました。すでに何かが起こる前触れに武者震いしています。様々な解釈が溢れるこのサロメの登場人物たちを、血の通った等身大の人間にするべく彼らと共にえぐり出して参る所存です。

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