表紙は浦井健治×加藤和樹、裏表紙は黒羽麻璃央×佐藤流司が登場 『TVガイドPERSON別冊ミュージカルスターズvol.2』が発売

NO IMAGE

2024年3月5日(火)『TVガイドPERSON別冊ミュージカルスターズvol.2』(東京ニュース通信社刊)が発売となった。

日本のミュージカルシーンを熱くするスターたちの美麗グラビア&インタビューを掲載する「TVガイドPERSON別冊ミュージカルスターズ」。第2弾の表紙を飾るのは、ブロードウェイミュージカル『カム フロム アウェイ』で共演する 浦井健治×加藤和樹 。巻頭特集では、100人近い登場人物を12人の出演者のみで演じ分けるという作品の中で、役を演じ分ける上で大変なことや、作品の見どころについて「いろんなエンタメの要素が詰まっていて、こんな贅沢な作品はないなと感じている」(加藤和樹)、「お客さまの見方にも変化を起こすような、エポックになるミュージカルかもしれない」(浦井健治)と語っている。また、芝居を通して感じた、お互いの役者としての魅力についてや、今後どんなミュージカルをやってみたいかなどたっぷりと話を聞いた。

「TVガイドPERSON別冊ミュージカルスターズvol.2」 (東京ニュース通信社刊)

「TVガイドPERSON別冊ミュージカルスターズvol.2」 (東京ニュース通信社刊)

裏表紙には、ミュージカル『刀剣乱舞』~陸奥一蓮~に出演する 黒羽麻璃央×佐藤流司 が登場。インタビューでは、『刀ミュ』シリーズを黎明期から支えていた2人に、現在までの振り返りや、約9年間関わってきた役への思い、2.5次元というジャンルの発展にどのような形で携わっていきたいかなどを明かしている。

そのほか、表紙&巻頭特集に続き、『カム フロム アウェイ』で宝塚歌劇団退団以来の初共演となる 安蘭けい×柚希礼音 、名作ミュージカル「王様と私」で北村一輝とW主演を務める 明日海りお 、ブロードウェイ・コメディーミュージカル『20世紀号に乗って』でハリウッドの大女優、リリー・ガーランドを演じる 珠城りょう 、日本オリジナルのミュージカル『CROSS ROAD~悪魔のヴァイオリニスト パガニーニ~』で共演する 中川晃教×相葉裕樹×木内健人 、新進気鋭の演出家・藤田俊太郎が演出を手掛けたミュージカル『VIOLET』で共演する 東啓介×立石俊樹 、累計140万部を超える人気漫画が原作のミュージカル「町田くんの世界」で主演を務める 川崎皇輝 、キャストを一新して3年ぶりに上演されるミュージカル「魔女の宅急便」で少年・トンボを演じる 深田竜生 、戦慄のスリラーミュージカル『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』で船乗りの青年・アンソニーをWキャストで演じる 山崎大輝×糸川耀士郎 が、ここでしか見られないスペシャルグラビアを飾っている。

「TVガイドPERSON別冊ミュージカルスターズvol.2 Amazon限定表紙版」 (東京ニュース通信社刊)

「TVガイドPERSON別冊ミュージカルスターズvol.2 Amazon限定表紙版」 (東京ニュース通信社刊)

「TVガイドPERSON別冊ミュージカルスターズvol.2 Amazon限定表紙版」 (東京ニュース通信社刊)

「TVガイドPERSON別冊ミュージカルスターズvol.2 Amazon限定表紙版」 (東京ニュース通信社刊)

source:New feed

Reiが3月1日(金)に渋谷クラブクアトロで開催した、ミニアルバム『VOICE』リリースツアーファイナル公演のオフィシャルレポートが到着した。


2023年、世界的楽器メーカーのフェンダーとアーティストパートナーシップを組むことを発表し、そのアーティスト性にさらなる注目が集まっているシンガーソングライター/ギタリストのRei。昨年11月リリースのミニアルバム『VOICE』の発売記念ツアーのファイナル公演が、3月1日(金)に渋谷クラブクアトロにて開催された。

2月11日の札幌公演を皮切りに、名古屋、大阪、福岡と回ってきた今回のツアー。千秋楽となる渋谷クラブクアトロ公演はSOLD OUTとなった。会場が超満員の熱気に包まれる中、今回のツアー・メンバーのTAIHEI(key)、真船勝博(ba)、澤村一平(ds)が登場。メロウなインスト・ナンバーを奏でる中Reiがステージに現れ、『VOICE』の1曲目に収録された「Love is Beautiful with Ginger Root」からライヴはスタート。2曲目もアルバムと同じ曲順の「Sunflower」。どちらも、往年のシティ・ポップのような軽やかさを感じさせつつも、バンドならではドライブ感にあふれたパフォーマンスだった。「COLORS」に続いて、普段はライブの後半に演奏することの多い「COCOA」を早くも投下。サビでは観客が手を大きく振るなど会場のボルテージは一気に上昇した。

最初のMCでは、「『VOICE』は、初めて歌声やソングライティングにフォーカスした作品です。“VOICE”というワードは、人間が声帯から発する声を指す言葉だそうです。今回は、歌声だけでなく、心の声を伝えたいという思いで制作しました」と語った。続けて、東京公演だけのスペシャル・ゲストであるヴァイオリン奏者の須原杏が加わり、Reiが上京したての頃を歌ったという「CITY」、そしてライブ用の特別アレンジが施された「Call My Name」を演奏。どちらも、フォーキーな曲調で、歌詞がストレートに響いてくる、Reiにとって新境地と言えるパフォーマンスだった。須原のヴァイオリンは続く「Don’t Mind Baby」でも大活躍。サウンドにさらなる彩りを加えていた。バンド編成に戻って披露した「RICH KIDS」は、遊び心満載のアレンジで、後半には観客とのシンガロング・コーナーもあり、会場全体が多幸感に包まれた。

後半は「QUILT」からスタート。もはやライヴではお馴染みとなったReiのラップも絶好調。続く、RHYMESTERとのコラボ曲「My Runway」でも澤村と一緒にラップを披露し、ギタリスト/ヴォーカリストだけではないパフォーマーとしての多面的な魅力をアピールした。バンドとのケミストリーを存分に聴かせたライブ定番曲「New Days」を挟んで『VOICE』から「RUN, RUN, RUN」を演奏。タイトル通り駆け抜けるような疾走感のあるパフォーマンスだった。そしてイントロから歓声上がった「Lonely Dance Club」で、会場の熱気は最高潮に。本編ラストは再び須原が加わり『VOICE』収録の「朝」を披露。アルバムとは趣ががらりと異なるヘビーなロック調のイントロから一転、静けさの中でReiの息づかいが会場に静かに響く。そしてゆっくりと歌い始め、その後バンドや須原が加わって、緩やかで大きなうねりをもって演奏は進行していったが、その中で一つ一つの歌詞を噛みしめるように歌うReiの姿がなにより印象的だった。まさに彼女が『VOICE』で描いた、強さとはかなさが共存する“声”と“ソングライティング”を最も端的に表現したパフォーマンスで、間違いなくこの日のライヴのハイライトとなった。

アンコールのMCでは、観客への感謝の気持ちを伝えつつ、「いい子だけでは終われないから」と言って「What Do You Want?」を演奏。再び会場を最高潮に盛り上げステージを後にした。また、MCでは10月から11月にかけて全国ツアー『Rei AUTUMN TOUR 2024』を開催することをアナウンス。10月9日(水)の恵比寿LIQUIDROOMを皮切りに、全国10都市をまわる。現在、Reiny Records先行予約が受付中。エントリーは3月17日(日)23:59までとなっている。

尚、公演当日には「Love is Beautiful with Ginger Root」が7インチ・アナログ盤としてシングルカットされた。ジャケットは、同曲のミュージックビデオに登場していたレコード・ジャケットのデザインが採用されている(Rei自身がデザインを担当)。おまけとして楽曲のコード譜が封入されている。完全生産限定盤なのでご希望の方はお早めに。

Photo by 垂水佳菜

source:New feed

4月7日(日)より放送が開始される『無職転生Ⅱ』第2クールの放送直前の3月30日(土)に、キャストも登場する先行上映イベント開催が発表された。第2クールの初回となる第13話と第14話の2つのエピソードを上映される。

杉田智和

杉田智和

鶴岡聡

鶴岡聡

逢坂良太

逢坂良太

そしてこのイベントの舞台挨拶は、杉田智和(前世の男役)、鶴岡聡(ザノバ役)、逢坂良太(クリフ役)が登壇。TVアニメ『無職転生』のイベントでは初となる男性キャストのみのイベント。上映前、上映後に登場し、この3人だからこそのスペシャルトークを展開する予定とのこと。

『無職転生 ~異世界行ったら本気だす~』は、作家・理不尽な孫の手による小説のTVアニメ化作品。2021年、2023年にTVアニメが放送され、主人公・ルーデウスの成長のドラマと冒険、スケールの大きな世界観、ハイクオリティなアニメーションが大きな話題を呼んだ人気作。続編となる『無職転生Ⅱ ~異世界行ったら本気だす~』第2クールは、4月7日より毎週日曜24:00にてTOKYO MX、BS11などで放送開始。ABEMA、dアニメストアでは地上波放送同時先行配信される。

『無職転生Ⅱ』第2クール先行上映イベントのチケットは、プレリザーブ受付が開始されており3月13日(水)23:59まで受付になる。男性キャストのみの『無職転生Ⅱ ~異世界行ったら本気だす~』先行上映イベントにぜひ参加しておきたい。
 

source:New feed

謎めいた存在の薬売りが立ち寄る先々で巻き込まれていく「モノノ怪退治」の顛末を描く、舞台『モノノ怪』シリーズ第二作・舞台『モノノ怪~座敷童子~』の稽古場で、主演の薬売りを演じる新木宏典と原作アニメーション『モノノ怪』の監督である中村健治の対談が実現! アニメーションと舞台、フィールドは違えど作品作りにかける情熱は同じ。互いの矜持を持ち寄って語り合った“それぞれの『モノノ怪』”とは──

薬売り役:新木宏典 (C)舞台『モノノ怪~座敷童子~』製作委員会

薬売り役:新木宏典 (C)舞台『モノノ怪~座敷童子~』製作委員会

──舞台『モノノ怪』、前回の『化猫』を観劇された感想からお聞きできますか?

中村:今回の『座敷童子』につながる点で言うと、『化猫』を見たときに一番僕が「もう一声」と思ったのは、薬売りが舞台に立ってる時間がちょっと短いなぁと感じたんです。なんというか……僕もお客さんもせっかく物語にのめり込んでいたのに、そこに薬売りがいない時間が長く続くと熱量がちょっとだけ冷めていってしまう気がしたんです。やっぱりみんななんだかんだ薬売りがいないと物足りないなという気持ちになっていくので、なるべく薬売りはいて欲しいなぁと思いました。「黙ってても立っててほしい」みたいな。なので今回脚本の方向性として「とにかく薬売りさんを舞台の端でもいいから出してください」とお願いしました。脚本チェックの際も「ここにもいて欲しいです」「もう5ページくらい登場していないのでそろそろお願いします」みたいな(笑)。

──どんな妖怪の物語だとしても薬売りがそこにいてこその『モノノ怪』である、と。

中村:起きていることに対して、薬売りは何となくでも常に見ている。だからそこにいるだけでも……背景に溶け込んじゃっててもいいから、なるべく舞台上に薬売りがいるのがいい。今回の『座敷童子』の脚本ではそういうニュアンスが増えていて、それがまず嬉しかったですね。

──『座敷童子』はアニメシリーズでの最初のエピソードです。新木さんは初めにこのお話を観たとき、どんな印象を持ちましたか?

新木:僕はアニメ『モノノ怪』が大好きで、最初に触れたのがこの『座敷童子』であり、原作を好きになれたのも『座敷童子』のインパクトが素晴らしかったからです。なので自分の中では『モノノ怪』=『座敷童子』というイメージでしたし、舞台化のお話をいただいた際も『座敷童子』のあの薬売りをやるんだろうなと思い込んでいたので、「『化猫』です」と言われた時はびっくりしました(笑)。その時に『モノノ怪』の前に『怪 〜ayakashi〜』があり、その中で薬売りが登場する『化猫』というお話があったのを初めて知って……なので当時の自分にとっては一作目が『座敷童子』じゃないんだってことのほうが、驚きが大きかったですね。

中村:ハハハ(笑)。

新木:で、次は「え、第二弾で『座敷童子』をやる!?」という衝撃ですよ。まさに僕がこの作品に惚れ込んだあのアニメーションの色味を……個性的な色の使い方と空間の演出を、劇場でどうやるんだ!? と。前作の『化猫』は「270度プロジェクションマッピングがある飛行船シアターという空間で『モノノ怪』の世界を表現します」と聞いて、ああなるほど、だったらエンタメのひとつのショーケースとして成立するだろうなと思いました。それが今回は旅公演もあり、先々の違った劇場で同じパッケージの作品をお届けしなければいけないという中での『座敷童子』ですから、演劇として前作以上に非常にハードルが上がっていますよね。原作の魅力的なポイントと舞台というアナログ的表現とのミスマッチ、それはさらに非常に大きな課題になっていくと思いますし、プレッシャーも大きいです。

──『モノノ怪』の『座敷童子』は広く知られている 「棲む家を繁栄させてくれる子供の姿の妖怪」とはちょっとニュアンスの異なる座敷童子たちが出てきます。アニメ製作時、どういうアイデアから物語を作っていったのでしょう。

中村:すごくシンプル。最初に何にも決めずに話数に合わせてばーっと妖怪だけ決めたんです、全部で5匹。ただ、『怪 〜ayakashi〜』の『化猫』もそうだったのですが、元々それぞれの妖怪にまつわるモチーフのお話はあるんですけど、それはほぼ使ってないんですよね。むしろ「世の中に知られているこの妖怪をどう見立てたらどんなドラマが作れるか?」というところから新たに物語を考えて……思考ゲームじゃないですけど、まず常識を外し、座敷童子にどんな可能性があるのかというところからディスカッションしていきました。で、脚本を担当してくれた高橋郁子さんに「座敷童子でどんなお話を書きたいですか?」と聞いたら、「子供の話、書きたいです!」とおっしゃって、子供→童→座敷童子……いける! って、すごく単純なところで決めてしまって。そこから「座敷童子と言ったらこういう話にならざるを得ないよね」という説得力みたいなものを後から深掘って探しながら進んでいった。最初にすごく粗い地図を置いて、ちょっと見切り発車で出航するみたいな感じでしたね。

──今日は対談前に稽古も見学していただきました。俳優たちが表現する『座敷童子』の世界はいかがでしたか?

中村:自分は監督業や演出業をやってるので、やっぱりディレクションでの「なるほど、こうやるんだ」という面白さはまずすごくあって。アニメーションを作っていてすごく歯痒いのが時間のコントロールなんですよね。『座敷童子』で言うと、志乃さんがいる部屋の中で同時にいろんなことが起こってるのに、カメラは常に一部ずつしか切り取れない。そこで徳次が騒いでいても志乃さんを映している時点では画面外での声でしか表現できないわけです。もしくはそこは騒がせずにいて、次の徳次のカット割りで初めて騒ぎ始める、というような演出をすることで繋ぎながらなんとか無理やりリアルタイム感のある映像を作るんだけど……やっぱりアニメーションは同時多発のリアルタイムな表現には、向いてないんですよね。向いてないんだけど、でも僕はそれがやりたいんです(笑)。一方の舞台は全体がワイドで全部が見える。それは僕からするともうめちゃめちゃ快感で、なんか………「みんな待ってないな」という感じがあって。アニメーションは「待つ」んですよ。「この人が叫んでからモノノ怪さん出てきてください」みたいに。それが舞台だとみんなが「うわーっ」てなってるところにドーンッ! ってくるので、観ていても「これは気持ちいい」となる。だから僕、お世辞でも何でもなく、さっきも「わ、めっちゃいい」と思って稽古を観てたんです。「これ! こういうことがやりたいんだよな、自分も」と。アニメーションのときにやりたかったことが、舞台だとかなりそのままできてるぞと感じてました。

新木:(頷く)。

中村:それに、これまでもほぼ出来上がった段階のものを見せていただくことはあったんですけど、稽古の最初のほうにお邪魔するのが初めてで……だから余計に現場で作って、判断して、音とかみんなの移動とか、間とか、掛け合いが渾然一体となってまさに作られていく様子は本当に「ああ、この気持ち。危ない危ない、自分は忘れかけてた」みたいな心情になったし、すごく勉強になりました。もう一回自分の作る思いに力をもらった感じがして、今日はそこもすごい良かった。

新木:ありがとうございます。

中村:舞台はやっぱり役者さんが生で表現するフィジカルの世界だから、アニメーションのようなある意味「安定して配布できる記録表現」とのいい意味での違い……表情とか体温とかが直接削ぎ落とされないまま全員が呼吸を合わせてるところが僕はすごい面白かったし、それがやっぱり舞台ならではの緊張感を生むのかなと思いますよね。全体のリズムにもグラデーションがある感じでリアルタイムに流れていくワクワク感とでもいうんでしょうか。変な話、俳優さんも日替わりで「自分は今日ちょっと体調悪いけど、演じてるこの人は体調悪くないから、体調悪くなくやってる」凄みみたいなのを感じますよ、やっぱり。客席も、舞台と近いとちょっとドキドキしすぎて話が入ってこないから遠くの席にすると落ち着いて観れるとか(笑)、そういう味もあるのがいいんじゃないのかなぁ……と。ま、めちゃめちゃ素人意見ですけどね。

新木:いや、すごく嬉しいです! 監督が舞台を肯定してくださって、楽しんでご覧いただけているんだなというのが伝わってくるので……2.5次元作品と呼ばれる舞台は、原作のアニメーションや漫画、2Dを観て好きになった世界を3Dでも観てみたいという、原作への愛情が強いからこそ劇場に足を運んでくださってる方が一定層いるところがあって。その方たちに対しては、やはり僕たちがどれだけこの原作をリスペクトした上で、こういう表現をしているのかという部分での説得力であったり熱量が絶対的に必要なんだろうなと思うんですね。なのでそこに演劇に慣れてはいないけれど好きな作品を2.5次元として楽しんでくださる方々……演劇というアナログの表現を受け入れてもらえるお客様がいることには、僕らは毎回すごく救われてはいるんですけど、同時に、そこに甘えてはいけないな、とも思っています。

──原作の面白さを舞台芸術の作法で変換した際の「誤差」を埋める作業、これは2.5次元作品の宿命とも言えますからね。

新木宏典

新木宏典

新木:アニメ原作を舞台化する際にどうしても課題になってくるのはマイクの距離なんですよね。動画はマイクがすごく近くてカット割りもあるから、声の距離が……音圧であったり重厚感であったりっていうところの表現のレンジが広くなるんです。でも舞台ではどんな声でも1階席の一番後ろ、2階席の一番奥のお客様にも届く表現にしなければいけないですし、舞台上だと表情には寄れないので、アニメではほんの少し右へ目元を動かしたようなシーンでも、ある程度身体を切る、もしくは首だけを切ることによって、同じような効果のアクションに見えるわけです。派手に動くキャラクターではなくても、声も身体も誇張し、キャラクターの根幹にある性格や癖などは活かしつつ舞台版にデフォルメしていかなければいけないのは必然ではありますが、そこでどうしてもアニメのキャラクターとの差が出てきてしまうので、原作をリスペクトする役者であればあるほど、常にそこに歯痒さや戸惑いも付き纏っています。

──「舞台化の歯痒さ」。監督が先ほどおっしゃっていた「アニメ表現の歯痒さ」と、対になるように聞こえてきます。

中村:うんうん。

新木:自分が演じる上でその上手い落としどころというのは常に考え探っていますし、原作ファンのお客様にも受け入れていただける舞台版の薬売りになるようにアプローチしていく身としては、監督には迷いが晴れるすごく救いになる感想をいただけたなぁと、とても嬉しいです。近頃は状況もどんどん良くなって、普通に2.5次元俳優を応援してくれてる方もいてくれるし、もちろん演劇好き、俳優好きという方もいるので、原作の舞台化に対して肯定的な見方をしてくださる方の割合は増えているとは思います。当たり前ですが、原作ファンの方だけを向くのではなく、そういった方々にも飽きさせない表現をしなきゃいけない。そこは役者をやっていく上で最も責任を持つべきポイントだと思っています。

中村:アニメーションも全く一緒です。ユーザーの方は本当にたまたま見た人から、もう文脈までめっちゃわかってて1から100を考え出し考察するような人まで同時に来るので……同じなんですよ、お客さんのレンジとしては。なので今も新木さんのお話し、「ああ同じ産みの苦しみだな」と思って聞いてました。

──新木さんは今日監督にお会いするにあたり質問してみたいことなど考えていたりは……。

中村健治

中村健治

新木:いや……さっきご挨拶の後で冗談まじりに「映画、気になります」とお伝えしましたけど、もうそれくらいしか言えないですよ。それは単純に原作ファンの特権、新作どうかなぁ〜というレベルですね(笑)。というのも、役者が考えることを放棄したら意味がないと思うんですね。監督の意図を直接聞いて答えをもらってしまうのは非常に時短にもなるし効率のいいことではあるのですが、僕たちが表現しなくてはいけないのはあくまでも「アニメーションを観て惚れ込んだ人たちを相手にする舞台作品」ですので、まずはその人たちよりも理解を深めるために自分自身が原作のアニメーションと向き合っていき、本当に簡単に手に入る答えがすごく近くに置かれていたとしても、その答えはちゃんと僕自身で導き出さなくてはいけないものだと思っています。

中村:わかります。

新木:アニメを観た人も自分自身で「ここどうなんだろう」と考えて楽しんで作品と向き合いながらより愛情が深くなってファンになっていくのかと思うので、僕が何かを聞くとしたら『モノノ怪』で放送された1話と2話に、なんだろうなと。ファンのみなさんと同じくらい……いや、それ以上の愛情を持った上で表現しきらなくてはいけないと自分は思うので、目の前に監督がいらっしゃってもなるべくこちらから核心はお伺いしないようにしてるのかもしれないです。

中村:新木さんはね、本当に甘えない方なんですよぉ。

新木:ハハハ(笑)。強いて言えば「こぼれて出たヒント」。監督がポロポロっと仰ったことを「そういう考えがあったんだ。これは今自分が解消しきれない、永遠の課題になりそうなポイントだったところの解決の糸口になりそうだな」と拾っていくっていうのはありますけど……舞台というアナログの表現に合わせて再構成された台本を紐解いて、原作という資料と照らし合わせ、それでもまだ説得力が足りないと感じた瞬間の表現をどう芝居で埋めていくのか、どう辻褄を合わせていくのかという作業がやはり俳優には必要なんです。勝手に答えを聞いて、理解できてもいないのに「そういうもんだから」とやってしまった場合、やっぱりお客様には伝わりきらなかったりすることもあるんですよね。

中村:いやぁ〜、アニメーションでもそうですよ。自分もスタッフに最も要求することは「考えること」なんですよね。「考える」ことは実は一番削れることだし、数値化もできないから目に見えないし、そこに対して周りから褒められることも少ない、すごい個人的な作業だったりもするんだけど、でも結果には如実に表れるんですね。そしてやっぱりそれ、お客さんには伝わります。あと自分は監督とか演出とかで客観的にキャラクターのことは把握しているけど、これ、本当に普段から僕が言ってることなんですけど、声優さんに対して期待を込めて「演じる方は絶対僕より詳しくなってください」と思ってるんですよ。キャラクターについて僕の知らないことを声優さんのほうが知ってることがね、すごく嬉しいんですよ。

新木:そうですね。

中村:「たぶんこの人は子供の頃こういう子供だったから、このセリフおかしくないですか?」とアフレコ現場で声優さんから指摘されて怒る監督もいるんですけど、僕はそこでなんかニヤニヤしちゃう。「きたきた。よしよし、この人本気だ。いいぞー」と(笑)。だって、相手が本気じゃないとそんなストレスのかかることを言ってこないですよ。だから僕も真面目に聞かなきゃなって思うし、逆に言うと、それでよりいいものができる予感がする。だから何が言いたいかと言うと、新木さんはやっぱり優れた役者なんだなと思いました。携わっているメディアは違うけど、僕が演出・映像のヨリコ ジュンさんにすごいシンパシーを感じるように、やっぱ役職は繋がってるんだな、同じようなところにみんな向かってるんだなと思っていますし、新木さんのお話聞いて、僕はもうすごく感銘を受けています。

新木:いや、そう言っていただけるなんて嬉しいです。僕らは監督や演出家に申し立てるなんて、非常に、本当にストレスがあるんですね。で、なるべく、「いや、自分がまだ読み切れてないんだ、考え切れてないから疑問になってしまうんだ。この台本なんだから、このセリフを言うんだから、このセリフが言える人格の人間として辻褄を全て合わせて言えるようにしなきゃいけない」と思うようにはしてるんですけど、でもキャラクターに関しては誰よりも詳しくなることが当たり前だと僕は思っていたので、監督はそこをわかって考えてくださっていて、すごくありがたいです。僕もそういうふうに取り組んできたことが間違いじゃなかったと再確認できたし、ああ、こういうのって、すごく嬉しくなる瞬間ですよね。

中村:うん。新木さんは「聞かない」とおっしゃってましたけど、逆に言うとこちらも教えられるものでもないんですよね。だから自分で「考える」んだけど、それは誰かに言われてやることでもない。この話はいろいろあって、自分の中で軸が欲しくなって、自分は何を真剣にやれば、何を信じればいいんだろうと追い詰められた人じゃないと出てこないんですよ。それは役者も、たぶん演出家も、絵を描かれる方も、ストーリーを作られる方も多分みんな一緒だし、他の仕事の方も一緒だと思いますよ。「この人は信用できる」と思える人って、こっちの想像を超えたところ、こっちが考えてもいなかったその「外側」の答えを考えてポンと出せる人なんですよ。それがやっぱり僕の中では優れたクリエイティブな人というイメージがあって。だから今日の新木さんの言葉に、僕はもう「同じ世界で戦う戦士だな」と思いました。

新木:「シビアなエンタメ界」でね。若い頃のこととかいろいろ呑みながらお話ししたら盛り上がりそうだなぁ。

中村:ホントにね。ハハハハッ(笑)。

──同じ思いを抱くおふたりのリレーが生み出す舞台版『座敷童子』。3月21日(日)の東京IMM THEATERを皮切りに始まる本番を待ってくださっているお客様にメッセージをお願いします。

中村:僕は今日のお稽古を見ただけでもお世辞でなく確信したのは、「『化猫』より面白い」です。それはまず間違いないです。なぜなら練度が違います。手探りの領域がものすごく広かった1作目でうまくいったこと、そして「次はこうしたい」ということが確実に2作目に反映されているので……なんか上から目線ですね(笑)。でも最初っからかなり研ぎ澄まされたものを観ることができるはずなので、続編を持っていた方は当然ですが今回初めて観るという方もすごく入りやすいと思いますし、どうぞ期待していてください──ま、ちょっとみなさんにプレッシャーかけちゃうみたいですけど(笑)。

新木:ハハハッ(笑)。

中村:それとこれは脚本的な見どころなんですけども、アニメーションの『座敷童子』では時間の限界があってかなり落としたドラマだったり設定だったりが実はたくさんあったんです。で、今回、脚本の高橋郁子さんがそれを舞台用にかなりいい意味で戻して描いてくれていて。アニメの『座敷童子』に感動された方が観たら「本当はこんなことがあったんだ」みたいな部分、より「わ〜っ」と思うところがいろいろ書き込まれています。「行間」じゃなく「欠番」の復活。ある意味、この舞台版の『座敷童子』にはアニメーションのディレクターズカット版的な魅力があるので、そこはぜひ見てほしいなと思います。

新木:そう。「これは私の知ってる『モノノ怪』じゃない。『座敷童子』、アニメと舞台で全然違うのでは?」と捉えられてしまうくらいに改めて深掘りしてもらっているシーンもあるので……でもそれをアニメオリジナルの高橋先生がここで描いてくれているということで、原作ファンからしてももう納得せざるを得ないでしょうね。そこは今回の舞台『モノノ怪〜座敷童子〜』の大きな強みになってるんじゃないかなと思います。

──オリジナルチームの力で舞台版の強度が増している。

新木宏典

新木宏典

新木:そういう点でも僕はまず監督をはじめ、アニメ『モノノ怪』を作ってくださったスタッフのみなさんに感謝したいです。カンパニー的にも初演に出演していたキャストが今回はまた違う役を背負って続投ができてる。2.5次元作品ですと、ビジュアルも変わりますからなかなかハードルが高いんですけど、でもそこに許可を出していただけたのもまた、非常に感謝すべきポイントだと思っています。いわばこの座組で「劇団モノノ怪」ができているわけで、そういう作品への理解度と経験があるメンバーなら新作に対してもスタートダッシュがかなり早いし、練度という点でもとても有利だと思います。こういう幻想的なシーンや、SF感の強いものは、実はアナログを武器にした表現=演劇と意外に相性がいいんです。アニメのあの空間が「うわ、今、舞台上でも見えた!」と、お客様が楽しんで錯覚できるぐらいの刺激を与えられるような舞台にしたいと思います。まずは今精いっぱい稽古を積んで、今回大阪公演が実現したように、「今度は九州にも来てくれるかな」「名古屋にも来てくれるかな」「北のほうにもぜひ……」と、日本中の作品ファンの方に更なる未来への期待値を持ってもらえるような作品になるよう、精一杯務めていきたいです。

──未来への想い、素敵ですね。原作のストックはまだいくつもあります。監督は舞台でどのエピソードを観てみたいですか?

中村:全部です。

新木:うわっ(笑)。やれたら、面白いですよね。

取材・文=横澤由香

source:New feed

2024年3月21日(木)~24日(日)東京・IMM THEATER、3月29日(金)~31日(日)大阪・COOL JAPAN PARK OSAKA WWホール、4月4日(木)~7日(日)までIMM THEATER(東京凱旋)にて、舞台『モノノ怪~座敷童子~』が上演される。この度、新規ビジュアルやキャンペーンなどが解禁。さらに、舞台第一弾の配信が開始となった。

『モノノ怪』は、2007年にフジテレビの深夜アニメ枠「ノイタミナ」にて放送され、「ノイタミナ」15周年の企画として行われたファン投票で、数十作品の中で上位となった人気作。

本公演はアニメ『モノノ怪』の舞台化第2弾となり、2007年にアニメ放送された『モノノ怪』の一幕目となるエピソード「座敷童子」を描く。

今回、新規ビジュアルが公開。妖艶な雰囲気をまとった新木宏典演じる薬売りが何を思うのか。そして、御朱印スタンプカードキャンペーン企画が決定。

本公演に、複数回来場された方に感謝の気持ちを込めて、ここでしか手に入らない非売品特典(舞台写真、ビジュアルクリアポスター(全3種))を用意。「#モノステ」と縁を結び御朱印を集める気持ちでスタンプを集めて特典をゲットしよう。

ビジュアルクリアポスター      (C)舞台『モノノ怪~座敷童子~』製作委員会

ビジュアルクリアポスター      (C)舞台『モノノ怪~座敷童子~』製作委員会

ビジュアルクリアポスター      (C)舞台『モノノ怪~座敷童子~』製作委員会

ビジュアルクリアポスター      (C)舞台『モノノ怪~座敷童子~』製作委員会

また、公演に先駆けて第一弾である舞台『モノノ怪〜化猫〜』の配信が初めて開始された。第一弾を劇場で観劇した方もまだ舞台『モノノ怪』の世界に触れていない方もこの機会にその目で確かめてみてはいかがだろうか。

source:New feed

2024年2月22日(木)より上演している、二人芝居「追想曲『カノン』」。この度、3月10日(日)大阪・扇町ミュージアムキューブ CUBE01にて行う、大千穐楽公演をライブ配信することが決定した。

ライブ配信はサービス「Streaming+」にて実施。大阪大千穐楽公演にあたる3月10日(日)の 13:00 (A):type-AKAZAWA 公演/17:00 (H):type-HONDA 公演の全2公演をスイッチング映像にておくる。また、それぞれの公演毎に特典映像として、撮り下ろしのソロインタビューを終演後、配信を予定。視聴チケットは、3月5日(火)18:00より販売開始となる。

二人芝居「追想曲『カノン』」type-HONDA

二人芝居「追想曲『カノン』」type-HONDA

二人芝居「追想曲『カノン』」type-HONDA

二人芝居「追想曲『カノン』」type-HONDA

本作は、脚本:ほさかよう(『あんさんぶるスターズ!THE STAGE』、『Dancing☆Star プリキュア The Stage』(脚本・演出)他) 、演出:松崎史也(「MANKAI STAGE『A3!』」シリーズ(演出)、『チェンソーマン』ザ・ステージ(脚本・演出)他)が手掛けるオリジナル新作の二人芝居。

その二人芝居に、本田礼生(MANKAI STAGE『A3!』(斑鳩三角役)や舞台『刀剣乱舞』シリーズ(一期一振役)等)と赤澤燈(MANKAI STAGE『A3!』(三好一成役)や舞台『東京リベンジャーズ』シリーズ(羽宮一虎役)等)が挑む。

二人芝居「追想曲『カノン』」type-AKAZAWA

二人芝居「追想曲『カノン』」type-AKAZAWA

二人芝居「追想曲『カノン』」type-AKAZAWA

二人芝居「追想曲『カノン』」type-AKAZAWA

本田礼生と赤澤燈の二人は公演毎に役を入れ替えて、“type-HONDA”公演、“type-AKAZAWA”公演と題して、どちらの役もおおくりします。それぞれの役を二人がどのように演じるのか、どちらの公演も見逃さないでおこう。

舞台上には二人だけ。「記録」と「記憶」が鍵となる会話劇。「記録」を辿り、「記憶」を重ねて生まれるものとは。

前売りチケットが完売となっている本公演。ライブ配信で大千穐楽公演を見られる貴重な機会となる。

source:New feed

4月6日(土)・7日(日)に幕張メッセで初開催される『eplus presents GO-AheadZ(ゴーアヘッズ)』のタイムテーブルが発表された。

DAY1はちゃんみな、DAY2は¥ellow Bucksがトリを飾ることとなる。

『eplus presents GO-AheadZ』は、日韓のHIPHOP、R&Bシーンを牽引するアーティストから、バンドサウンドのさらなる可能性を見せてくれるアーティストまで、“スクランブル”で届けられる。

なお、チケットは現在イープラスにて販売中。

『eplus presents GO-AheadZ』DAY2 タイムテーブル

『eplus presents GO-AheadZ』DAY2 タイムテーブル

 

source:New feed

石垣優が、3月2日(土)に『石垣優ソロライブ at 大阪』を開催した。本記事では、同公演のオフィシャルレポートをお届けする。


結成から20年となる2020年の活動をもって幼なじみ女性ユニットやなわらばーを解散し、1年間の準備期間を経て、本格的にソロ活動をスタートさせた石垣優。これまでリリースした楽曲は、CMソングやテレビ番組の挿入歌などに起用され、デビューから現在まで多くの人にその美しい歌声を届け続ける。今回は、やなわらばーを結成した母校で、3月2日(土)に『石垣優ソロライブ at 大阪』が開催された。

風鈴の音が鳴る中、真っ白な衣装を着用しステージに立った石垣優。ライブの幕開けは、2023年にデジタルリリースした楽曲で、親から子への無償の愛を歌った「君がくれたもの」。そして、ユニット時代から変わらず歌い続けている「サクラ」、沖縄セルラー電話presentsテレビ番組『沖縄CLIP』の挿入歌に起用されている「旅の続きへ」を3曲続けて歌唱した。ライブ序盤から温かいクラップが鳴り響き、会場はあっという間に“石垣優色”へと染まっていった。最初のMCでは「皆さん、ようこそお越しくださいました!」と挨拶し、「この場所でやなわらばーを結成して2人で初めて歌ったのもこのステージでした。今回はこのステージに1人で立ち、改めてスタートを切りたい」と、このライブに懸けた思いを話した。

ソロになって初めてリリースした大切な楽曲と伝え歌ったのは「花ひら」。2022年に清涼飲料水『チョーヤ 夏梅』のCMソングとして起用された楽曲で、「この出会いがあったからこそ、この曲があったからこそ、一歩前へ踏み出すことが出来ました」とソロアーティストへと歩み出した始まりの楽曲を披露。

石垣優

石垣優

事前にファンから集めたリクエスト曲を披露する場面では、どうしても生演奏ではないと届けられない楽曲があったと話し、ゲストミュージシャンが登場。やなわらばー時代にファンの皆さんへ、そして相方へ向けて作った楽曲「キムガナサ」、そしてアーティストとして歩みだすきっかけとなった「青い宝」の2曲を歌唱した。

波の音が流れる中でアカペラから始まった「月」は、彼女の美しい歌声が会場全体を包み込み、まるで月夜の下で聴いているような神秘的な雰囲気となっていた。
「まだまだ見たい景色、歌いたいステージがある。希望をもつことで、誰かの支えに気づけたり、誰かの支えになれたり、そうやって前に進んでいけると思うので、これからも夢や希望に繋がるような歌を届け続けていきたい」と彼女らしい真っ直ぐな思いを語り歌ったのは、ソロ曲の中で1番リクエストが多かったという「つよがり」。

石垣優

石垣優

たった1人で母校のステージに立つ彼女は、「この会場だからこそ出来ること」と話し、学生時代からお世話になっているという恩師の2人を呼び込み、和やかなトークを繰り広げた。ぜひ一緒に歌ってくださいと伝え歌ったのは「涙そうそうと」「三線の花」。恩師が奏でるピアノとギターに乗せ、美しい三線の音色と沖縄独特の節まわしに、会場はあっという間に沖縄の雰囲気へと変わっていった。

石垣優

石垣優

石垣優

石垣優

「今を生きる私たちが出来ることは、大切な人とのかけがえのない時間を一日一日をしっかり生きていくことだと思います」と語り、もう二度と会うことのできない大切な人への思いを綴った「光はココニ」を披露。まるで泣いているかのように歌う、切なくも儚い彼女の歌声は観客すべてを魅了していた。そして、沖縄の方言で“ゆっくり・ひと休み”という意味のある「ゆくい」では、マイクを外し、生歌で届ける場面に多くの人が涙を流しているように見えた。

石垣優

石垣優

石垣優

石垣優

本編最後の曲は1度だけ歌ったことがあるという、タイトル無しの「リリース前の楽曲」。昨年10月に開催したワンマンライブで歌う為だけに歌詞を書いたと話し、応援してくれるファンや支えてくれる人へ向けた感謝と愛が込められた楽曲。「いつの日かリリースするときは、歌詞もアレンジも変わっていると思います。CD ではなく、今日この空間だからこそ、素直な想いを込めました」と話した通り、彼女らしい真っ直ぐなメッセージは会場にいる全ての人の心を掴んでいるようだった。

アンコールの手拍子が鳴り続ける中、笑顔でステージに登場。恒例のグッズ紹介をしながら天真爛漫なトークをする彼女に、会場にいるファンも笑顔で溢れていた。今日来てくれたファンへ直接伝えたかったと、今年の10月にワンマンライブを開催することを発表(詳細は後日発表)。会場からも拍手が鳴り響いていた。そして、アンコール1曲目には最新曲の「明日」を歌唱した。

石垣優

石垣優

ライブ最後のMCでは、3月8日(金)に新曲「夜明けの光」をデジタルリリースすることを発表。今年の初めに制作をスタートさせたというこの曲について、「今年は、元旦から胸が痛むような景色が映し出され、どんな感情を、どんな言葉を綴ればいいのか、迷いながら制作しました。言葉や音楽で何かを解決することはできないけど、それでも、一瞬でもいいから癒しに繋がったり、心が元気になったり、そういう曲を作りたいなと思いました。夜が明けて朝日が昇って少しずつ色鮮やかな世界を取り戻すように、今日より明日に少しでも希望が持てるように、みなさんの毎日に光が射すように、そう祈りながら歌いたいと思います」と話し、心を込めて「夜明けの光」を届けた。感動に包まれた会場内では大きな拍手が鳴り響き、それを見た彼女は達成感に満ちた表情を見せた。ステージの端から端まで感謝を伝えながら手を振り、最後は口元に手を当て大きな声で「ありがとうございました!」と伝えながら、深々と頭を下げ、愛らしい笑顔でステージを降りていった。

石垣優

石垣優

石垣優

石垣優

 

source:New feed

『デザインフェスタvol.59』が、2024年5月18日(土)・19日(日)の2日間、東京ビッグサイト西&南ホール全館にて開催される。

『デザインフェスタ』は、「自由に表現できる場」を提供するアートイベントとして、1994年にスタート。プロ・アマチュア、年齢、国籍、ジャンルを問わず、作り手の想いが込められたアート作品や日常を彩る雑貨、ライブパフォーマンスや世界各国のグルメなど、1万人以上のアーティストの多種多様な表現に出会うことができるイベントである。

明るいブース

明るいブース

暗いブース

暗いブース

巨大ライブペイント

巨大ライブペイント

会場内は、趣向を凝らした様々なジャンルの作品が並ぶ【明るいブースエリア】、映像作品や照明を効果的に使用した表現が集結する【暗いブースエリア】、大きなキャンバスに描かれていく作品を間近で楽しむことのできる【ライブペイント・巨大ライブペイントエリア】、様々なジャンルの物作りに参加できる【ワークショップエリア】、音楽やファッション、ダンスなどのショーが繰り広げられる【ショーステージ・パフォーマンスエリア】といったエリアにわかれて展開。ほかにも、世界各国のフードを提供するカフェやキッチンカーが集結する【フードエリア】、ファッションショーや作品の紹介など、クリエイティブなものをワンコインで披露できる【ワンコインランウェイ】など、多彩な表現を楽しむことができる。

ワークショップ

ワークショップ

ショーステージ

ショーステージ

キッチンカー

キッチンカー

ワンコインランウェイ

ワンコインランウェイ

前売券の販売スケジュール等は追って公式サイトにて発表予定とのこと。

source:New feed

ソニー銀行 presents -ジュジュ苑スーパーライブ- スナックJUJU 東京ドーム店
~ママがJUJU 20周年を盛大にお祝い!! 一夜限りの大人の歌謡祭~
2024.2.17 東京ドーム

大人のムードと懐かしい昭和歌謡の名曲を求めるほろ酔い気分の観客で、広い“お店”は最上階スタンドの隅に至るまでぎっしり満員だ。2月17日、『-ジュジュ苑スーパーライブ-スナックJUJU 東京ドーム店』。大人気シリーズの最新アルバム「スナックJUJU ~夜のRequest~『帰ってきたママ』」と、JUJUのデビュー20周年を兼ねて実現した一夜限りの特別営業。夕闇迫る午後5時、馴染みのネオンに灯がともる。スナックのボーイ、声優の神尾晋一郎がママの到着を告げる。史上最大のスナック、いざ開店。

オープニングを飾るのは「二人でお酒を」。広いステージによく映える、まばゆい白と銀のドレス、すらりと伸びたおみ足。弦楽器、管楽器、女性コーラスを加えたゴージャスなバンドには、懐かしい昭和の歌謡番組の匂いがする。もちろんスクリーンには歌詞が出る。あぐらをかいて一緒に歌いたい。「メモリーグラス」では、入場時に観客全員に配られた“LEDリストバンド”が大活躍。自動制御で発光する、七色の光の波が壮観だ。J-POPだと思っていた「じれったい」は、この流れでこのサウンドで歌われると昭和歌謡にしか聴こえないのが面白い。叙情メロディの遺伝子は続く。

「本日はお忙しい中、こんなにもたくさんの方に水道橋のお店にお運びくださいまして、まことにありがとうございます。私、当店のママでございます」

JUJUではなく、ママ。しかし細かいことは誰も気にしない。「異国気分で旅するコーナー」では、スモークとレーザービームに彩られた「桃色吐息」を、エキゾチックなムードたっぷりの映像とともに「異邦人」を。原曲に忠実なアレンジで、誰でもすぐに歌えるのがスナックJUJUのいいところ。弦楽器が緊迫感あふれる音色を奏で、ワウギターが盛り上げる。頼れるバンドメンバー、ママいわく“流し”の気合も満点だ。

通常営業のスナックJUJUでは、観客をステージに呼び込みママとデュエット、というお楽しみ企画が人気だが、まさか東京ドームでやるとは思わなかった。この場で厳正な抽選とじゃんけんを勝ち抜き、選ばれた運命の女(ひと)、あとでどんな歌が聴けるか楽しみだ。盛りだくさんのメニューはどんどん進む。

可愛い子猫ちゃんダンサーズに目移りするダンスタイム、「CHA-CHA-CHA」でぐっと熱気が高まったところへ登場した、この日最初のスーパーゲストは鈴木雅之だ。粋なピンクのシャツ、黒のジャケットに蝶ネクタイ、ママを優しくエスコートして「め組のひと」から「違う、そうじゃない」、そして再び「め組のひと」へ。ノリノリで煽るバンド、ソウル溢れる歌声、“ラヴソングの王様”と“宇宙で一番ピンヒールが似合う人”(by鈴木雅之)とのデュエット、これは盛り上がらずにいられない。手を取り合って歌うシーンが印象的な「ロンリー・チャップリン」まで、華やかで贅沢な時間は一瞬だ。

出会いがあれば別れがある。ムーディーな弦の響きが切ない「私はピアノ」も、ステージに置かれたソファに腰かけてしっとり歌う「恋におちて」も、ママが歌うと酸いも甘いも噛み分けた、包容力満点の大人のラヴソングになる。字幕を見ながら、令和の今にこの歌詞でヒットを出せるだろうかとふと思う。良き時代、良き音楽。

素人の方がいきなり東京ドームのステージで歌うのは……と、親心めいた心配はまったくの杞憂だった。先ほど選ばれたばかり、chiakiさんがママのサポートを得て堂々と歌い切った「ラヴ・イズ・オーヴァー」は素晴らしかった。スナックのお客さんが誰もがこんなに歌えるのなら、昭和の歌謡曲は決して古びないだろう。さらにもう一つの恒例企画「今月のユーミン」では、荘厳なオルガンと白く輝くスモークに埋もれて「翳りゆく部屋」を。歌い込んだ年季の違いがにじみ出る、神々しさすら感じる圧巻の歌唱。

この日二人目のスーパーゲスト、NOKKOがステージに飛び出して「フレンズ」を歌い出した瞬間、空気ががらりと変わった。80年代、ロックバンドが台頭した時代、新しく若いカルチャーの象徴。変わらないエナジーとパワーで「RASPBERRY DREAM」を歌い、珠玉のバラード「Maybe Tomorrow」を歌う。ママが「REBECCAの曲の強い女の子に憧れました」と告白する。80年代は平和だったねと微笑み合う。LEDライトが広いドームを一面の星の海に変える。

ドームやスタジアムではお馴染みの演出だが、まさかJUJUが、いやママがトロッコに乗って場内一周するとは思わなかった。移動の時間も無駄にせず、お相手の神尾晋一郎と共に楽しいトークを。アリーナ後方の特設ステージに到着すると、チェロやバイオリンの特別編成によるアコースティックセットで2曲を。この季節に聴く「なごり雪」の歌詞はしみじみと、「いとしのエリー」のメロディは美しく切なく心に沁みる。ママの歌声は包み込むように柔らかく優しく、アコースティックセットに良く似合う。

トロッコの上で「伊勢佐木町ブルース」から「どうにもとまらない」へと、観客にマイクを向けてぐいぐい盛り上げるママ。メインステージに到着してそのまま歌い続ける、と思いきや、暗転したステージに一条の光が差し、この日3人目のスーパーゲスト、小田和正がおもむろに歌い出す。あまりに劇的な演出と、漂うオーラにドームがどよめく。曲は「言葉にできない」。国宝級のハイトーンは健在だ。「みなさん参加してくれたらうれしいです。頑張ります」と、謙虚で飄々としたトークも健在だ。「Yes-No」から「ラブ・ストーリーは突然に」へ、小田の先導でステージを歩きながら歌い、歌わせ、心が一つになる。お馴染みの「どーも!」も何度も聞けた。贅沢なシーンが多すぎて、お腹いっぱいになりそうだが、いや、クライマックスはここからだ。

火花が散る、炎が燃える、レーザーが飛ぶ、ライトが回る。「あゝ無情」からスタートする「スナックメドレー」は、80年代アイドル歌謡中心のスーパーヒット、アップテンポの連発でぐいぐい飛ばす。「嵐の素顔」から「淋しい熱帯魚」へ、「DESIRE-情熱-」から「ミ・アモーレ」へ。威風堂々の歌いっぷりだが、ところどころで感じるリスペクト溢れる物まねっぽさも微笑ましい。ママが本当に大好きで聴いていた曲である証拠だろう。思い出に刻まれた曲は決して色あせない。ママが歌えば、歌は蘇る。

「宴もたけなわではございますが、そろそろ閉店の時間でございます」

ラストを飾る「喝采」のリズムに合わせ、ドームいっぱいのLEDライトがゆっくり揺れる。銀の紙吹雪が大量に舞い踊る。ステージで歌い続ける人生と覚悟を余すところなく描いた歌詞がママの、いやJUJUの心情にぴたりと重なる。あたたかく力強いバンドサウンドがそれを支える。この日のスナックJUJUを誰よりも楽しんだのはJUJU、いやママだろう。静かにお辞儀をしてステージを去る姿に拍手が鳴りやまない。

ママの代わりにあの人が来てくれたようです――。神尾のナレーションで始まったアンコールタイム、主役はママではなくJUJU。しかし細かいことは誰も気にしない。初披露となった新曲「一線」(テレビ朝日系木曜ドラマ『グレイトギフト』主題歌)の、ロックで激しい曲調に応えて手拍子が湧く。さらに「JUJUメドレー2024」と題して、「素直になれたら」「明日がくるなら」「この夜を止めてよ」など7曲をミックスした豪華メドレーで盛り上げる。どれだけ歌っても疲れ知らず、圧巻のパフォーマンス。最後の「やさしさで溢れるように」は、ドーム全体を巻き込んだ大合唱になった。見せるだけ、聴かせるだけのライブではなく、一緒に歌うのがスナックJUJU。閉店の1曲にふさわしい、誰もが笑顔で心あたたまるグランドフィナーレ。

「本当に今日はありがとうございました。わたくしJUJUは、ママに負けないようにこれからも頑張ります。みなさんに連れて来ていただいた20年、そしてこれからの20年、いろんなことをみなさんと楽しみながら進んで行こうと思います」

メンバー一人ひとりを誇らしげに紹介し、最後の挨拶を済ませ、「ありがとうございました!」と生声で叫ぶ。ネオンサインの灯が消える。しかしあたたかい思い出は消えることはない。この日の東京ドームはJUJUの到達点、通過点、そして出発点。3時間を優に超えるメニューの中に、ありったけの愛と名曲を詰め込んだ素晴らしい夜だった。

取材・文=宮本英夫
撮影=Michiko Kiseki(KISEKI inck)、Chie Kato(CAPS)、Kayoko Yamamoto

source:New feed

2024年3月7日(木)より日生劇場にて、ブロードウェイミュージカル『カム フロム アウェイ』が開幕する。この度、公演後に出演者の加藤和樹による特別講座『加藤和樹が語るミュージカルの世界』が行われる。

ブロードウェイミュージカル『カム フロム アウェイ』は、2001年の同時多発テロの裏で起きた心温まる奇跡の実話を基にした物語。数々の演劇賞を受賞したブロードウェイミュージカルを、安蘭けい、石川 禅、浦井健治、加藤和樹、咲妃みゆ、シルビア・グラブ、田代万里生、橋本さとし、濱田めぐみ、森 公美子、柚希礼音、吉原光夫という豪華キャストで日本初演を行い、日生劇場60周年イヤーの締めくくりを飾る。

今回、昨年、NHK文化センター梅田教室で開催した『加藤和樹が語るミュージカルの世界』が、大好評につき、2024年3月17日(日)17:00~18:30に、東京(会場:一橋大学一橋講堂)で第2弾を開催。

加藤和樹は、ミュージカル『テニスの王子様』の跡部景吾役で脚光を浴び、ドラマ・映画・舞台のほか、最近では声優としても活躍している。本講座では、加藤和樹が舞台の裏話、演技や音楽対しての考え方や、ミュージカルの世界の魅力をたっぷりとトークする。

なお、本講座は全席指定(先着順)。また、加藤和樹に聞きたいこと、知りたいこと、また、ブロードウェイミュージカル『カム フロム アウェイ』に関する感想や質問を募集中だ(締切は3月15日(金))。

source:New feed

赤堀雅秋プロデュース『ボイラーマン』が2024年3月7日(木)、東京・本多劇場にて開幕する。

劇作家、演出家、俳優、さらに近年は映画監督としても評価を得ている赤堀雅秋の書き下ろしとなる本作は、これまでもその存在感と演技力で赤堀作品を支えてきた田中哲司が主演を務め、赤堀作品は初参加、田中との本格的な共演も初となる安達祐実、赤堀とは舞台2度目のタッグとなるでんでん村岡希美水澤紳吾樋口日奈薬丸翔井上向日葵が出演する。

稽古初日を終えたばかりの取材会に、赤堀、田中、安達、でんでんが登壇した。

赤堀くんの現場はご褒美だと思っていたけど、今回は挑戦(田中)

田中哲司

田中哲司

――本日稽古初日を迎えました。赤堀さんは創作の旅を始めたところだと思いますが、今どのように感じていらっしゃいますか?

赤堀 この作品は「赤堀雅秋プロデュース」という冠がついているので、だからこそちゃんとチャレンジをしたいと思っています。当初は狭いコミュニティの中でどろどろとした人間関係を描くつもりでいたのですが、なんだかおもしろくないように感じて。というのも自分の中で既視感があるというか、なんとなく、自分が今までやってきたことを踏襲してしまいそうな予感があったので。なので今は正直言うと怖くて仕方がないです。これどうなっちゃうの?という感じ。でもそれがなんかすごく……今日実際に動く役者さんたちを見て、今のところはすごくおもしろいと思っています。どうなるかわからないですけど(笑)。

――田中さん、安達さん、でんでんさんと稽古してみていかがでしたか?

赤堀 今回は、明確な背景や自分の思いの丈をカミングアウトするようなわかりやすいドラマではなく、その役者の佇まいで、行間の中で、お客さんになんとなく共感していただけるような舞台にしたいなとは思っていますが、ここにいるお三方は、語弊がある言い方ですけど、立っているだけでおもしろいというか、すごく魅力的に感じる方々なので、そこへの信頼はあります。

赤堀雅秋

赤堀雅秋

――田中さん、安達さん、でんでんさんにも、今日始まったお稽古の手応えや、今どんなお気持ちで『ボイラーマン』に臨み始めたかというところをうかがいたいです。

田中 今日、朝5時に起きてメールを見たら台本が届いていて、読み進めるうちにちょっとドキドキしてきました。これは今までないテイストだぞ、勝負だな、と思いました。今まで赤堀くんの現場はご褒美だと思っていたのですが、今回は挑戦ですね。そのくらい難しい台本です。赤堀くん自身も「やばいところに手を突っ込んでしまった」と思っているはずなので(笑)、「一緒にがんばろう!」という気持ちになりましたし、少しでも期待に応えたいと。素晴らしい景色が見えると信じて、稽古を進めていこうと思っています。

安達 今日の稽古はすごく楽しかったです。私は舞台経験はそんなに多くないほうだと思いますし、こんな素敵な方々と一緒に舞台に立つということに緊張もするのですが、みなさんの様子を間近で見られることや、一緒にお芝居できること、赤堀さんはどんな演出をつけるんだろうということにすごくワクワクして。なので今日は、ドキドキもあるけど、楽しみが膨らんでいくような気持ちになりました。自分にできることをこれから一生懸命やっていこうという気持ちです。

でんでん 今はただただ楽しみです。演者として、台本はすごくおもしろいなと思います。いろんな(作品世界への)入り方があるから。それにはまず真面目にやることですよね。台詞が入らないことにはいろんなことができないので。だから今は、その「試す時間」があるのかがちょっと不安ですね。なんてったって一日にやるとスタミナがね。くたくたになっちゃうので。だからちょっとがんばります。みなさんと一緒にやれるのが楽しみです。舞台に立つのは2年ぶりなんですけれども、なんか夢心地みたいな感じ。ワクワク感と不安材料と一緒になってます。早くワクワク(だけ)になりたい。

>(NEXT)マイナス部分も平気で出していく。それが人間臭さであり魅力(でんでん)

 

マイナス部分も平気で出していく。それが人間臭さであり魅力(でんでん)

でんでん

でんでん

――今回の台本についてうかがいたいのですが、赤堀作品常連の田中さんが「やばいところに手を突っ込んだ」とおっしゃっていました。それはどういうところに感じられたのでしょうか?

田中 ワンシチュエーションで場面が変わらないのと、時間的には一夜ですよね?

赤堀 一夜の予定です。今の想定だと、一場が22時すぎから、二場が午前0時すぎから、三場が午前4時すぎから、というような三場構成です。

田中 設定が夜のみとは初めてです。屋外ですし、赤堀くん得意のカラオケも出てこないし、飲み屋のママも出てこない。演劇的にハードルが高いところにいったなと思いましたし、赤堀くんの作品を観慣れた人には新鮮なはずです。今のところ赤堀くん節は出ているので、最後まで行き詰まらないでほしいですね(笑)。

赤堀 既に2回くらい行き詰まってますけど、がんばります(笑)。

――安達さんは赤堀さんのホンのどんなところに人間的な魅力を感じましたか?

安達 一人の人間の中にいろんなものを持っている。表面で見せていることと違うことを内包していたりするような。そのいびつさだったりに人間の素敵さがあるんだろうなと思うので。そこが出てくるのが素敵な部分なんだろうなと思っています。

――でんでんさんは赤堀舞台作品は2回目ですが、赤堀さんの描く人間の魅力ってどういうところにあると思われますか?

でんでん 人間臭いんじゃないですかね。マイナス部分も平気で出していく。それが人間臭さであり、それがまた人間としての魅力でもあるんだろうと。良いところを少ししか出さないんだけど、ダメな部分をいっぱい出しておいて出すから、そのちょっとしたことがすごく効いてくるようなホンだとは思います。「人間らしくやる」とか「○○らしくやろう」とかじゃなく、そのままのものをぶつけていかないことには成立が甘くなってきますし。

――そういう役を演じる時はどう臨んでいかれるのですか?

でんでん 余分なことをやることですね。そこから削っていく。はじめから押さえていって調子を上げていくようじゃ、そう簡単には上がるもんじゃないから。最初に余分なことをバーッと。空回り気味でも最近はそういうふうにしています。悔いのないようにやりたいから、とにかく思い切ってやる。この歳になってくると、いろんな奴の力をちょっと借りながらやるんです。仲間とかね。仲間の代わりに演じている(感覚)とか。そういうふうにして役をつくって。この歳になってそういうふうになってきました。そういうのもけっこう楽しみなんですよ。

――赤堀さん、お三方の役どころや作品の中で担う部分をお聞かせいただけますでしょうか。

赤堀 それは俺が一番知りたいですね(笑)。でも今までの自分の作品と違うのは、普段はちゃんと役名があって年齢も明記して、役の関係性も明らかでっていうところから描いていくんですけど、今回は敢えて、別役実さんじゃないけど、「男1」「女2」というような書き方をしています。ただ感覚の話ですけど、(劇作家として)「男1」「女2」っていうほど人物との距離が離れているわけではないので、「中年男」とか「喪服の女」とか。「老人」とか書いて申し訳ないですけど。

でんでん ほんとだよ。しかもそれでみんな納得してるからさ(笑)。せめて「老人の中の老人」とかさ。

一同 (笑)

赤堀 だから今回は劇作家として、人物との距離の取り方は今までとちょっと違いますね。あとはなんとなく、これはあくまで僕の勝手な思いですが、昨今流れている雰囲気というか風潮には、なんかすごく閉塞感があって。いろんな想いが飽和状態で、これはコロナが拍車をかけた部分もあるんでしょうけど、もう破裂寸前、暴発してしまいそうな気がしていて。「清廉潔白じゃなきゃいけない」とか「こういうことが正義なんじゃないか」とかの応酬で、僕自身はこの世の中にうんざりで、嫌気が差している。そういう今の世の中の空気感というものを今回の舞台で描きたいというのが一番あります。哲さん(田中)演じる主人公の「中年男」も、特に明確な理由、それは家庭がどうだとか仕事でどうだとかっていうことではなく、突然なにか「もうええわ」みたいな感じで糸が切れてしまうような。そういう感覚って多分、長く生きていたらきっと誰でもあると思うんですけど。安達さん演じる「喪服の女」も、いろいろ内包しているものがあって、でも大人なのでちゃんと社会性を持って生きようとはしてはいる。そういうものが、暴発はしなくてもなにかしら漏れ出すことはきっとあるんだろうなって。それが観ているお客さんたちにも共感できるというか、なんかひとつのカタルシスになればなという思いがあります。

――名前がないからこそ、見ている私たちの側に近しい。私たちの分身でもあるというように見られるような人物たちになりそうということですね。

赤堀 横尾忠則さんの「Y字路」シリーズが昔から好きで。これは僕の感覚なんですけど、ああいう怪しげなのか、寂しげなのかちょっとわからないですけど、こういうものをやれたらなって。そこからインスピレーションを受けてやっている感じです。それと三好十郎の『夜の道づれ』っていう、ただ甲州街道を歩いているだけの話があるんですけど、それにインスピレーションをいただいたりもして。この世の中の風潮に唾を吐きたいなという感じです。

>(NEXT)自由を求めながらも踏み外さない、その気持ちを思いながら(安達)

 

自由を求めながらも踏み外さない、その気持ちを思いながら(安達)

安達祐実

安達祐実

――赤堀さん、お三方それぞれの俳優としての魅力を改めてうかがえますか?

赤堀 みなさん否定されるかもしれませんが、演技もうまくて、だけどそれを壊そうとしたりとか、多分いろんな逡巡がありながら(芝居に)取り組んでくれているんでしょうけど。でも結局は、これは語弊を招く言い方ですが、その人たちが生きてこられた何か、年輪じゃないですけど、そういうものがどうやったって滲み出てくる。僕はそれが役者なんじゃないかなと思います。僕自身、そういうものを見るのが好きなので。だから各々の魅力というのは、各々のパーソナリティの魅力。もちろん安達さんとは今回初めてなので、知ったようなことは言えないですけど、でも清濁併せたうえで素敵だなと思いますし。それはおふたりともそうだと思います。

――赤堀作品経験者の田中さんとでんでんさんに、赤堀さんの稽古場にしかないもの、味わえないものがあればうかがいたいです。

田中 僕は赤堀くんの作品では、稽古初日に台本があると思っていません。最初は赤堀くんが台本の遅れをすごく謝って、俺らがいいよいいよって言ってるのですが、それが台本があがるごとに立場が逆転していくんです(笑)。そして気づくと赤堀くんからプレッシャーを感じるようになるんです。だから届いた台本はすぐに覚えます。こういう「追いつ追われつ」が、赤堀くんの現場の特徴です(笑)。これはこれで楽しんでいます。

でんでん 赤堀くんは、作と演出と演者もやるでしょう。だから演じている時にね、俺はホンも書いて演出もしてお芝居もできるんだぞっていうことが時たまポンと出る。

赤堀 (笑)

でんでん でもよく見てくれます。これは誰の現場でもそうなんだけど、役者の楽しみは別個のもの(芝居)をこさえていくことだから。そこを赤堀くんがよく見てくれる。ありがとうございます。

――安達さんは事前のコメントに「特別な修行」と書かれていました。どういったところにその特別さを感じられたのでしょうか。

安達 まず舞台に立つこと自体が私の中では、ポジティブに「自分の伸びしろをのばしていく」みたいなことだなと思っているので。あまりネガティブな意味じゃなく、自分にはできないことが多すぎて「まだできることがあるんだな」と感じられる場だと思っているので、そういう意味で「修行」です。でもはい、きたものはすぐ覚えるというのは今、教えていただきましたので、今後そうしていきます(笑)。

――楽しみにされているお客様にメッセージをお願いします。

赤堀 これは今作に限らずですが、人間って、人生って、こんなに愚かでも無様でもいいんだっていう。立川談志さんがかつて「(落語とは人間の)業の肯定」とおっしゃっていましたけれども。もちろんそこに僕は及ばないですが、でも僕なりに同じ思いでつくっているつもりです。こういう世の中だからこそ、現代だからこそ、舞台上に生きている人たちのみっともない姿、社会人としては出せないような感情のうねりみたいなものをお客さんが感じて、どこか、自分も同じように生きていていいんだっていうような、そういう思いになってくれたら、作者としてはうれしいです。

安達 普段の、日々鬱々とするというか、「なんでもっと自由じゃいけないんだ、わー!」みたいな気持ち、でも踏み外さない、「絶対はずれないでおこう」みたいな自分で自分を抑圧する気持ち、みたいな。そういうものを思いながらやったらすごくおもしろくなりそう、という気がしています。まだどこに辿り着くかわからないですけど、観てくださる方には、どこに辿り着いたのか……きっとそれぞれ感じ方は違うと思いますが、それを目撃しに来ていただけたらいいなと思います。

田中 陰鬱とした世界を描きつつ、最後は「人間っていいな」とか「よし、しょうがないからがんばるか」という気持ちになれるものをお届けできるんじゃないかと思います。あと赤堀芝居好きには、ちょっと今までとは違うぞ、というところを楽しみにしていただければ。

でんでん 観に来てくださる方が劇場を出るときに、喜んで帰れるような作品になるように、僕は一生懸命がんばるしかないです。

取材・文=中川實穂 撮影=池上夢貢

source:New feed

2024年5月4日(土)~5日(日)に東京建物 Brillia HALL(豊島区立芸術文化劇場)にてMANATO ASAKA CONCERT『MANA-TRIP』が開催されることが決定した。

本公演は昨年、朝夏まなとのデビュー20周年+1年を記念して1日限りで開催されたスペシャルコンサートのアンコール公演で、「旅行」をテーマに、朝夏にゆかりのある名曲を国ごとにカテゴライズし、お洒落な世界旅行として構成されている。

出演者は宝塚歌劇団でトップコンビを組んだ実咲凜音をはじめ、愛月ひかる、風馬翔、伶美うらら、秋音光、華妃まいあ。朝夏のトップ時代を支えた元宙組のメンバーが再集結し、宝塚時代の懐かしいナンバーからミュージカルのヒット・チューンまで朝夏まなとの魅力を余すことなく届ける。

source:New feed

2024年4月13日(土)~7月15日(月・祝)新国立劇場 小劇場にて上演される『デカローグ 1~10』。この度、演出の小川絵梨子と上村聡史、映画監督の石川慶が参加したトークイベントの模様が届いたので紹介する。
 

『デカローグ』小川絵梨子×上村聡史×石川慶トークセッション

ポーランドの鬼才クシシュトフ・キェシロフスキが旧約聖書の「十戒」をモチーフにTVシリーズとして手がけた十篇の物語『デカローグ』を完全舞台化した『デカローグ 1~10』が新国立劇場にて4月から7月にかけて上演されます。去る2月12日、新国立劇場内にて、本作の演出を務める小川絵梨子芸術監督と同じく演出を担当する上村聡史氏、そしてキェシロフスキが映画を学び、教鞭を取ったポーランド国立ウッチ映画大学で映画を学んだ経験を持つ映画監督の石川慶氏(『ある男』、『蜜蜂と遠雷』ほか)によるトークセッションが開催されました。

(左から)小川絵梨子、上村聡史、石川慶

(左から)小川絵梨子、上村聡史、石川慶

ーーまずはみなさんの『デカローグ』との出会いとそこで感じた魅力についてお聞きしたいと思います。石川監督はウッチ映画大学在学中にご覧になったんですか?

石川:そうですね。当時、既にキェシェロフスキは亡くなってはいましたが、まだ彼が遺した色が濃く残っている時期でした。映画を作るにも自分が暮らしている国ではないこともあって、題材を見つけるのに苦労していたんですが、先生から「『デカローグ』は見たか?」と聞かれて「見てない」と答えると「いますぐ見てこい」と。その日のうちにまとめて全部見て「すごいな……」と思いました。いまでも、映画を作っていて、困ったら見直す作品です。

小川:私もアメリカの演劇学校にいた時に友人に勧められたんですが「こんな面白いものがあるんだ!」と思いました。当時はまだ英語が下手で、わからない部分もあったんですが、日本に帰って字幕付きのものを改めて見て「そういうことだったのか」と思う部分もたくさんありました。

上村:僕は学生時代、大学の図書館にヨーロッパの文芸的な映画のレーザーディスクがあってよく見ていたんですが、すごく分厚いディスクがあって、「全部で10時間? まあ時間もあるし、見てみるか」と(笑)当時は20歳でまだ若かったのか、淡々とした世界観がよくわからなかったんですよね(苦笑)。今回、お話をいただいて改めて見たら、ここまでメタファーを表現し、かつ人間の内面を表現しと、こんなに深い作品だったのかと思い、あの頃の自分を恨みたいです(笑)。

石川:学校で「『デカローグ』には映画のすべてが詰まっているから見ろ」と言われましたが、自分が作るようになって見直すと、映画のすべてというより、人間の世界のすべてが詰まっているなと思います。ワルシャワ郊外の団地で起こる人間ドラマですが、ミクロコスモスというか、映画を作る上でよくストーリーやテーマ、キャラクターが大事だと言われますけど、もっと大きなものを扱っているんですね。映画ってここまでできるんだと。映画作家だけでなく芸術をつくっている人間にとっての憧れ、理想の形がここにあると思います。

ーー小川さんは本作を「いずれ舞台に」という思いはずっとお持ちだったんですか?

小川:最初に見た当時は「映像の世界のもの」と思っていたんです。でも、10年ほど経って、日本で「やりたい作品はありますか?」という話になった時、どうしても私の中にこの作品が残っていて。特に舞台化を考えずに映画のシナリオを使って、ワークショップをやってみたりしたんですが、伝わり方は映像と違うかもしれないけど、演劇として人間の物語を大きな引いた視点で描くのはできなくはないなと思い「いつかやってみたい」と思っていました。ただ、1話ずつが独立しているとはいえ、十篇で神話、サーガとなっているので、全部やらないとダメだと思っていて、でも10話連続で上演させてくれるプロデューサーは普通はいないので、(自身が芸術監督を務める)ここでやりますということになりました(笑)。

石川:(舞台化を聞いて)正直、「あぁ、仲間に入れてほしかったな」と思いました(笑)。僕自身、日本のコンテクストに落とし込んでTVでできないかと企画書を書いたこともあるくらい、自分の中に残っていたので。最初はいくつかのエピソードを舞台にするのかと思ったら、全10話をやるということで、しかも俳優陣の顔ぶれを見て「これはガチのやつだ」と思いました(笑)。

石川慶

石川慶

小川:新国立劇場、ガチです(笑)。

石川:お2人が演出と聞いて、ワクワクしてます。早く見たいです。

上村:僕は小川さんにお話をいただいて、二つ返事で「やります」と言いました。機会があってポーランド演劇に興味を持つようになり、ワルシャワやクラクフやボロツワフなど、たびたびへ行くようにしていた時期がありました。クリスチャン・ルパとクリストフ・ワリコフスキという現代のポーランド演劇のトップを走る2人の追っかけみたいなものなんですけど。自国や生きていることへの葛藤を新しい方法を用いながら作っている演出家で、俳優も西側とはまた違う、無駄なものをそぎ落としたエッジの強い表現が魅力的で自分にヒットしました。また、ワルシャワの空気が西側とは違い、人に奥行きや個性を感じると言いますか、決して愛想がいいだけではなく無骨の美学みたなのもあって。あの風景にハマって、この話が来た時にすぐ「ぜひやります」と言いました。

そこからもう一度、『デカローグ』を見て、映像でここまで評価が高い作品なので、舞台芸術ならではのやり方に苦労するだろうと思いつつ、どこかで舞台でもいけるという確信がありました。

ーー石川監督は日本の大学で物理学を修めた後、ポーランドに渡って映画を学ばれたそうですが、そこで初めてポーランドに行かれたんですか?

石川:そうですね。「なんでポーランドに?」と毎回聞かれるんですけど、しっくりくる答えが自分の中でも見つかってないんですね(笑)。当時、旧共産圏に興味があって、チェコとかロシアの学校も見ましたし、キューバも見て、最終的にポーランドに決めたんです。ポーランドの冬って暗くて長いんですよね。4月、5月にならないと暖かくならない長いトンネルに入るような長い冬で、『デカローグ』の風景そのままで、みんな「気が滅入る」と言うんですけど、自分はこの冬がすごく好きだったんです。内省的な静かな冬で、創作に向き合う意味でも合っていて、5~6年を過ごしました。何とも言えない空気感ですよね。ほかの国にはなかなかないなと思います。

ーーウッチ映画大学ですが、演劇的なことも勉強されて、演出をされたこともあったそうですね?

石川:僕が在籍したのは「演出科」だったので、授業の半分くらいは舞台演出で、4分の1がフィクション、4分の1がノンフィクションという感じでした。ヨーロッパでは、映画監督として4年に一度くらいのペースで映画を撮って、残りの3年は舞台を演出して、そこで俳優と知り合ったり、いろんな題材を見つけたりして、また映画を……というサイクルでやっている人が多いんですよね。大学では安部公房の『棒になった男』やハロルド・ピンターの『料理昇降機』などの演出をやっていました。

上村:「ポーランド映画=ウッチ映画大学」と言ってしまうと大げさかもしれませんが、そういうイメージがあります。ポーランドの監督ってアンジェイ・ワイダしかり、キェシロフスキしかり、個性的でいろんな人がいる印象あるんですけど、ウッチ映画大学の教育方針はどういう感じだったんですか?

上村聡史

上村聡史

石川:方針としてはガチガチの権威主義でした(苦笑)。「自由に撮りたいなら、いますぐ退学届けを出して撮りに行け」という感じで、そこからロマン・ポランスキーやイエジー・スコリモフスキが出てくるっていうのが面白いですよね。

ポーランド映画の歴史をふり返ると、ちょうど『デカローグ』の時期の1989年に自由化しますけど、そのあたりをピークに衰退の道をたどることになるんですよね。ある種の縛りがある中だったからこそ、映画作家がクリエイティビティを発揮して、世界的に通用する普遍的な作品を撮ってきたけど、いざ「なんでも撮っていい」と言われても、何を撮っていいかわからなくなったところあるんじゃないかと思います。ポランスキーは「映画学校で勉強したこと忘れることで映画監督になれた」と言っています。

上村:縛りがあったことで表現が強くなるというのは、皮肉な部分でもありますね。『デカローグ』もそうですが、タイトルの意味(=十戒)とは裏腹に、人間の感性や本能を実直に見つめていますが、80年代という最後の縛りのある時代にそういう表現が生まれるというのは面白いですね。

ーー『デカローグ』というと、宗教的な戒めや束縛を意味しますけど、見てみると非常に現代的なテーマを感じさせられます。

上村:石川さんが「大きいところから世界を見ている」とおっしゃっていましたが、そのあたりがキェシロフスキの持ち味なんでしょうか? 企画自体が全10話からスタートしているところがそうさせているんでしょうか?

石川:面白いなと思うのが、キェシロフスキの作品のタイトルは数字がついていることが多いんです。『ふたりのベロニカ』は“2”、『トリコロール』は“3”ですし、もともとドキュメンタリー作家で、学生時代は「フィクションに興味ない」と公言していて、卒業後に撮ったドキュメンタリーは0歳から100歳までの人に「あなたは誰?」「あなたの夢は?」って聞いていくというもので、0歳の赤ちゃんに聞いても答えられないんですけど(笑)、お構いなしに聞いていくんです。

人間の営みを上から見て、でもそこで突き放す感じというより、夜空を見上げて「なんて人間はちっぽけなんだ」と感じるような慰め、温かさが残る着地点みたいなものがキェシロフスキだなと思います。でもそこで決して甘えさせてくれない結末もキェシロフスキらしさを感じますね。

ーー石川監督ご自身の作品でキェシロフスキの影響に自覚的な部分はありますか?

石川:エンディングでしょうかね。 どう捉えていいかわかんないところがあって、安易なエンディングに行きそうになると「待て待て!」と。キェシロフスキの作品は、自分が知っているドラマツルギーと全然違うところからぶった切られるようなエンディングが多い気がしていて、わかった気にならない、安易に「よかった、よかった」とさせない終劇の仕方は、自分が立ち止まった時にいつも意識させられますね。

小川:『ある男』の最後は、まさにバンっと切られてお客さんに託される部分を感じました。

石川:確かにそういうところかもしれません。突き放された感覚になるかもしれませんが、首根っこを掴まれてグッと持ち上げられるような感じといいますか、そういう余韻が好きなので、目指しているところではあります。

小川:個人的な興味なんですけど、あのラストで役者さんはセリフをすべて言っていて、それを(編集で)切ったんですか?

小川絵梨子

小川絵梨子

石川:いえ、言ってないですね。ただ、結末を決めて撮ってはいます。

小川:あのラストを見ると、作品が終わらずに、自分の中でずっと続いている感じがして、それはすごいことだなと思いました。

石川:ありがとうございます。僕もキェシロフスキのなんとも言えない余韻はどこから作るんだ? と考えていて、『デカローグ』も演劇になった時、どういう立ち上がりかたをするのかすごく興味があります。

ーー今回の舞台では須貝英さんが上演台本を書かれていますが、小川さんと上村さんで十篇のどのエピソードをどちらが演出するかという決定があったかと思います。ここに関して「うまくハマった」とおっしゃっていましたが……。

上村:2分くらいで決まりましたね。基本、小川さんが「好きなのをチョイスしてください」と言ってくれたんで、僕は自分が好きなのを羅列し、ふてぶてしいですけど、逆に「これは小川さんがやったほうがいいよ」とか言わせていただいたり。

たとえば8話の「ある過去に関する物語」は、倫理学の教授とユダヤ人の研究者の2人の女性の間に起きた、戦時中のある出来事に関する物語なんですけど、これはぜひ僕がやりたかった作品で。この距離感——2人の女性同士の距離感もそうですが、過去と現在との距離感の取りかたにとても興味がありました。

逆に10話の兄弟の物語「ある希望に関する物語」は十篇の中でも最も質感がドライな感じで、ドライブがかかっているエピソードで、枠をはみ出した面白さもあって「これは小川さんがやったほうがいいと思う」とお伝えしました。

小川:ポーランドでTV放映された当時、他のエピソードもすべて撮り終えていたけど、10話目が最初に放映されたらしいです。やはり一番エンタメ性が高いエピソードなので、おそらくプロデューサーの意向なんだろうと。第1話がヘビーなので……。

上村:(制作は)5話の「ある殺人に関する物語」に最初にとりかかったらしいですね。これも僕が「絶対に小川さんがやったほうがいいよ」と言いました(笑)。

小川:そのあたりは、長くお互いの作品を見てきているのでスムーズでした。

(左から)小川絵梨子、上村聡史、石川慶

(左から)小川絵梨子、上村聡史、石川慶

ーーそもそも普段、他の演出家の創作場面を見る機会はなかなかないと思いますが、この先、お2人は互いの創作を共有していくというレアな経験をすることになります。

小川:私は翻訳もやっているので、他の現場には結構行っていますし、芸術監督として稽古場に行くこともあるので、そこまで新しい感覚はないですね。上村さんの稽古も見ています。でも、上村さんは私の稽古は見たことがない……?

上村:入らせてくれないんですよ(笑)。僕は、現場に演出家が2人いるなんて考えられないというくらい、最初にイメージを持ち込んで創るタイプなんです。だから演出家同士が仲良くしてるなんて想像できないところではあるんですけど、でも小川さんとは、もう10年くらい、こういう場で演劇についてお話をさせていただいたりしていて、すごくフレキシブルな方なので、最初に今回のお話をいただいた時も、10話を2人で割るというのも「小川さんとならできそう」と思いました。

演出プロセスの踏み方は違うんですけど大事にしていることは似ていると思います。物語をしっかりと踏まえつつもど、演じる俳優の中にあるもの、その内面をよりどころにする——むしろ、それこそが物語になるという信念。だからこそ瞬間、瞬間の芝居を積み重ねて作品を構築しようとする姿勢にシンパシーを感じます。

小川:上村さんとは、信頼してお願いする役者さんがわりと被っていて、若干取り合いになることもあったりするんですけど(笑)。同じところに“生息”している感覚はあって、今回も世界観を立ち上げるために衣裳のトーンだったり、ある程度の部分を統一していく必要はあるかもしれませんが、細かい部分に関しては100%信用していますし、なんの心配もしていません。

俳優さんの話が出ましたが、石川監督の作品を拝見すると、すごく有機的というか、役者さんがしゃべっていなくても何を感じているのかがわかったり、カメラに関しても「ここから切り取るんだ?」と感じさせられるんですが、どうやってそういうことを決めているんですか? まったく想像がつかないんですが……。

石川:先ほどのお話を聞いていて「俳優の中にあるものをよりどころにしていく」というのは、自分も同じで、俳優の中に何かがポッと灯る瞬間がある気がしていて、そうするとカメラマンともそんなに話さなくても「これはこうだよね」と決まっていくんですよね。

自分はカメラを置く前の段取りと言われるリハーサルをやるのが毎回「長すぎる」と言われるんですけど、カメラを置いてしまうとカメラは嘘をつくというか、それで成立してしまうところがあるので、カメラを置く前に芝居が成立するかどうかを見ないといけないんです。そういう意味で、よりどころにする部分はお2人と同じなのかなと思いました。

石川慶

石川慶

小川:役者さんにどんなふうに演出をされるんですか?

石川:自分ではいろいろ説明しているつもりなんですけど、役者からすると「なんで何回もやるのかわかんない」と思っているかもしれません(苦笑)。やっていくうちにこっちの気持ちもシンクロしていくような感じで、でも役者とそれをやっている時間が一番好きですね。

ーー非常に演劇的な作り方に感じます。石川監督の作り方は演劇とも親和性が高いのではないかと……。

石川:役者によっては最初から面白い人もいるし、(途中から)上がっていく人もいます。カメラを置いてすぐに撮れないので、“時差”を計算しながらやっていきます。映画は記録する媒体なので、その1回をどのタイミングで掴むかを測りながらリハーサルをやっていますね。

ーーぜひ演劇の演出もやられませんか?

石川:小さい声で「やりたい」と(笑)。演劇は、いつもうらやましいなと思います。役者さんと濃密な時間を過ごしながら、でも最後に手放す感じもカッコいいなと思っていて、機会あればぜひやりたいです!

ーー改めて『デカローグ』を舞台にするにあたって、演劇でしかできないことはどういう部分にあると思いますか? まだ稽古前ですが、いまの段階でのビジョンや「こうありたい」と思っていることを教えてください。

小川:この『デカローグ』は、善悪で捉えられない、人間の強くないところ、悩んでしまうところ、不安や後悔してしまうこと、この選択が合っているかどうかわからない不安を抱え続けたり、自分をごまかしたりしてしまう、そういう人間にものすごく寄り添っている物語だと思います。そこで善悪をジャッジするのではなく、人間の根底への肯定感があると思います。石川監督もおっしゃったように、甘い話ではなくて厳しさもあるんですけど……。いまの時代、簡単に断罪されてしまうことや、そこで痛んだもの、恐怖、ごまかしてきたものに対し、寄り添った視点で見てくれるんですね。

人間の「わかっているけどそうなってしまう」部分、そこで生まれる葛藤や感情は単色ではなくグラデーションだと思っていて。その感覚、言葉にできない体温のある感情は、舞台だからこそ感じていただけるところがあると思います。言葉で表現しきれない葛藤のジレンマ、わかっていてもこうなってしまう複雑な感覚を生々しく舞台で感じていただけたらいいなと思いますし、そこを目指して頑張ります。

小川絵梨子

小川絵梨子

上村:この作品の登場人物たちは、80年代のポーランドのシチュエーションの中に置かれている、すなわち当時の経済状況や第二次世界大戦後の影響やなどがあり、映像では可能だったけど、日本で、さらに舞台芸術の上演としてどう面白くなるか? ということは気にしなくてはいけない部分だと思っています。いまの時点で、例えば第4話(「ある父と娘に関する物語」)では「手紙」がすごく重要な要素になっていて、映像だとクローズアップできるけど舞台では難しいですよね。これをある仕掛けを使って舞台芸術で可視化できるようにしたいと考えています。

6話の「ある愛に関する物語」では「のぞき」がキーになるんですね。映像では、前半と後半で視点が移行していく面白さがあります。映画だと2つの視点がカメラとなってメインに描かれますが、これも舞台では、身近にいるもうひとりの登場人物の視点を強調すると、舞台芸術としてもっと面白くなるんじゃないかと感じています。また、映画の脚本でカットされた部分などがあるので、舞台でそれを復活させるといった作業も行なっています。

80年代のポーランドを踏まえながらも、今上演する意味でも、生きてくことの生々しさ、そこにのしかかる葛藤を大事にしつつ、舞台芸術で効果的なことをお届けしたいと思っています。

ーーそろそろお時間になってしまいましたが……。

上村:最後に聞きたいことがあって、みなさん、どのエピソード一番好きですか?

石川:十篇でひとつの作品なので難しいですけど、第1話(「ある運命に関する物語」)が好きですね。エンディングが「こうなっちゃうの?」っていう感じですけど、そこにキェシロフスキの的な視点というか、少しコンピュータの視点も入っていて、どこにも行けない行き詰まりの中でもどこかにつながっている、キェシロフスキの冷たさと温かさが同時に感じられます。だからこそ第一章なのかなと。

小川:第1話は私が演出ですけど、個人的には一番難しいです(苦笑)。映像だからこその意味を感じます。もうひとつ選ぶとしたら?

石川:第1話とは全然違うテイストですが、第10話です。最後が希望で終わるのがいいですね。あれをどういう感じに舞台に落とし込むのか? ヘタすると浮いちゃうところもあって、この世界観になじませるのは大変そうだと思いながらも好きな話です。

上村:余談ですけど、1話が真冬で始まって、10話で夏に向かうところで終わるのが面白いですね。

小川:そうなんです。1話で「死」が象徴的に描かれていて、10話は人間以外のものも含めた「ライフ(命)」を描かないといけないなと。

(左から)小川絵梨子、上村聡史、石川慶

(左から)小川絵梨子、上村聡史、石川慶

石川:落語的なところがありますよね。

上村:僕はさっき8話と言いましたけど、もうひとつ7話(「ある告白に関する物語」)も好きで、登場人物みんなが抑圧されている苦しみが際立ちながらも、どこか最後に彼女たちに自由が待ってるんじゃないかと感じられて、心に残っています。8話もそうですし、『トリコロール』を見ても、キェシロフスキの女性の描き方が好きなのかもしれないです。性への美学を描きがらも、その影もしっかり描く、結果、色彩豊かな女性の在りようが立ちあがる映像が好きなんだなと思います。

小川:私は5と6ですね。10話も楽しみを最後に取っておけるけど、石川監督もおっしゃったように浮いちゃうのが怖いです。1話はもうすぐ稽古が始まりますが、自分で企画したわりに怖いです(苦笑)。この世界を立ち上げなくてはいけないし、あの美しさをただマネしようとしても、見抜かれてしまうので、できる限り正直に作らないといけないと思っています。

石川:十篇を全部を舞台化するのは、歴史的な大仕事だと思います。ぜひ十篇すべて観たいと思います。
 

取材・文=黒豆直樹  撮影=阿部章仁

source:New feed